「世界遺産『超巨大!仁徳天皇陵古墳のナゾ」というTBS系の番組の紹介で、朝日新聞の「試写室」で、「名もない私の墓が跡形も無くなった後も。彼らの墓は残り続けるのだろう。生前の富と権力が、何千年にもわたって民との違いを生み出し続ける」というような巨大古墳を批判する紹介をしたというので、保守派の皆さんがお怒りだ。
岩田温氏もアゴラに『仁徳天皇を侮辱する朝日新聞記事』を寄せ、「こんなところで、こんな記事を書くのか!?」として、竈の煙の逸話で知られるような仁政を敷いたという仁徳天皇を批判したこと、為政者は常に悪だという姿勢などを批判しておられた。
しかし、私は不愉快な記事であり、あまりにもステレオタイプな帝王批判の貧しさはその通りであるし、岩田氏がそのことを批判するのもひとつのまっとうな意見である。
だが、一方で、君主制への批判そのものはそれをダメだとはいえないし、巨大墳墓の建造を批判的に見ることも不健全とはいえないと思う(その時代がそれを求めたのであるからいちがいに否定すべきではないが)。
まして岩田氏はそういう馬鹿げた言葉遣いはしていないが、こうした批判を「不敬」などという人がいるのは、戦前の不敬罪は廃止されているのだから、それに当たるような暴挙を糾弾することはとうてい世論の支持も期待できない。
さらに、朝日新聞のような新聞が「反天皇制」的な意見を書いても別に驚くようなことでもない。
仁徳天皇については、そんなことより、文部科学省が認定している歴史教科書にその名さえ紹介されていないことこそが問題である。
現在の指導要領では、推古天皇より前の天皇の諡号を紹介することは禁じられている。いくつかの教科書に神武天皇の名はあるが、それは「日本神話」の紹介としてであり歴史としてではない。
だから、崇神天皇、神功皇太后、応神天皇、雄略天皇、継体天皇などの名は登場しないのである。仁徳天皇の名は、大仙古墳(伝仁徳天皇陵)というかたちで登場するだけだ。日本国は憲法第一条から八条で世襲の天皇について定め、その世襲原則は神武天皇を起点としているのである。
そして、宮内庁は歴代天皇の存在を正史として定め、陵墓を指定している。もちろん、歴代天皇の諡号が当時呼ばれていたものではないし、陵墓の比定に誤りがあるかもしれない。しかし、そんなことは両方ありがちなことだが、いちいち、生前の名でなければ排除しているわけでもないし、墓には遺骸が入っていないことも多い。
しかし、そんなことを世界史、日本史の教科書で徹底して正確を期しているわけでもあるまい。それをわずわざ歴代天皇についてだけ敵意を込めて排除しているのは、反天皇制思想の反映としかいいようがない。
そして、それを文部科学省が「強制」しているのである。当然、それは歴代内閣がそうしているのである。
こっちの方が、朝日新聞の与太記事よりよほど問題にし戦うべきものでないかと思うのである。
(繰り返し念をおしておくがこれは岩田氏の論説をいかなる意味でも批判しているものではない)
八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授