フランシスコ教皇はヨセフが好き 〜 イエスの父親は誰か

長谷川 良

11月に訪日したローマ・カトリック教会フランシスコ教皇が日本好きであることはよく知られているが、聖母マリアの夫ヨセフをこよなく愛し、尊敬していることは余り伝わっていない。

バチカン内のフランシスコ教皇の仕事部屋には眠っているヨセフの像がある。教皇はその像の枕元に、心痛や願い事を書いた紙片を置いておく。その数は山ほどだという。教皇の部屋を何度も訪問したオーストリアのローマ・カトリック教会最高指導者シェーンボルン枢機卿の証だ。同枢機卿はオーストリア日刊紙クローネン日曜版(22日付)の中に書いている。

「眠っている聖ヨセフ」(カトリック教会聖ヴィアトール北白川教会HPから)

24日はクリスマス・イブだ。イエス誕生前夜を再現するクリッペ(クリスマスに飾る人形)をみれば、聖母マリアがイエスを誕生させた状況が少しは分かる。共観福音書によると、イエスは豪華な宮殿で誕生したのではなく、馬小屋で誕生した。クリスマスはそのイエスの誕生を祝う日だが、イエスがその日に誕生したわけではない。

また、イエスの実存性すら疑う聖書学者がいる。にもかかわらず、イエスの誕生を祝うクリスマスは世界最大の祝日として定着しているわけだ。

イエスは大工職人のヨセフとマリアの間で生まれたが、「マタイによる福音書」によると、神の聖霊でマリアがイエスを身籠ったという。すなわち、婚約時でヨセフとの夫婦関係を結ぶ前に神の聖霊によって身籠ったという話だ。多くの現代人は「あり得ない話」と首を振るか、少しは寛大な人は「これはイエスをキリスト(救い主)と信じる人々の信仰告白だろう」と受け取るだろう。

イエスが生まれた時代、2000年前、人々は夫婦関係なしに子供が生まれると信じていたわけではない。その点では現代と変わらない。だから、マリアはイエスを身籠った時、苦悩した。子供がヨセフの子ではないと分かっていたからだ。一方、夫ヨセフはマリアのお腹が大きくなるにつれ、「誰の子供だろうか」という不信の思いが湧いてきたはずだ。

福音書によると、神は天使をマリアとヨセフに送り、イエスの誕生を歓迎し、受け入れるように諭した。マリアが夫ではない男の子供を産んだとすれば、石を投げられ殺される運命が避けられなくなる。マリアを愛していたヨセフはそれを避けるために苦悩した。同時に、「いったい誰の子供か」という思いが払しょくできずに苦しんだわけだ。

イエスは、祭司としてユダヤ人社会では信望があったザカリアとマリアの間で生まれた子供だ。ザカリアはマリアと親戚関係があるエリザベツの夫だった。マリアがイエス誕生前にエリザベツを訪問し、そこに数カ月間滞在した、と福音書は書いている。その時、ザカリアとマリアはイエスを身籠ったというわけだ。すなわち、イエスはアフェア(姦通)で生まれた庶子ということになる。庶子のイエスが人類の救世主だったわけだ(「イエスの父親はザカリアだった」2011年2月13日参考)。

英国の著作家マーク・ギブス氏は著書「聖家族の秘密」の中で、2000年間、秘密にされてきた「イエスの父親は誰か」を解明している。著者は旧約聖書に登場する信仰の祖「アブラハムの家庭」と「ザカリアの家庭」を比較する。アブラハムには本妻サラの他、召使のハガルがいた。ザカリアの家庭には本妻エリザベツと、ヨセフの妻となるべきマリアが登場する。

アブラハムの第一子はサラとの間のイサクであり、第二子はハガルとの間のイシマエルだ。同じ様に、ザカリアの第一子はエリザベツとの間に生まれた洗礼ヨハネであり、第二子はマリアとの間に生まれたイエス、という構図だ。「ザカリア家庭が重要な使命をもっていた」と指摘している。

どうか誤解しないでほしい。「マタイによる福音書」を読めば、イエスの血統が記述されているが、その中に複数の妾の立場の女性が関与していることが分かる。そしてイエスが庶子として誕生したのだ。イエスは聖霊でマリアが身籠った子供ではなく、生物学的に全く正常な男女関係(ザカリアとマリアとの間)から生まれてきたのだ。

イエスが成人しても結婚できなかったのは、イエスが庶子だったことを裏付けている。ユダヤ人社会では庶子は正式には結婚できないという教えがあった。多くのユダヤ人はイエスが庶子であったことを知っていた。アフェアを最後まで秘密にすることはどの時代でも難しいのだ。

イエス誕生後、ヨセフとマリアの間に子供が生まれた。マリアはヨセフの手前、イエスよりもヨセフとの子供たちを愛し、世話しなければなならなかっただろう。微妙な関係のマリアとヨセフの下でイエスも苦悩していたわけだ。

イエスが群衆に福音を述べている時、弟子が「お母さんが外で呼んでおられます」と言ってきた。その時、イエスは「私の母、私の兄弟とは誰のことか。見なさい、ここに私の母、兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、私の兄弟、姉妹、また母なのだ」(マルコ福音書第3章)と返答している。

ガリラヤのカナの婚礼では、葡萄酒を取りに行かせようとした母マリアに対し、イエスは、「婦人よ、あなたは私と何の係りがありますか」(ヨハネ福音書第2章)と述べ、親族の結婚式のために没頭するマリアに不快の思いを吐露している(「聖母マリアは無原罪で生まれたか?」2019年12月10日参考)。

フランシスコ教皇がヨセフを愛するのは、秘かに離縁しようと苦悩していたヨセフが夢で聞いた天使のお告げのとおりマリアを受け入れ結婚し、自分の子供でもないイエスの誕生に付き添い、家庭を守り、神の子イエスの父となった神への信仰を称えているからだろう。フランシスコ教皇はヨセフの立場に同情するとともに、その困難な状況を克服していったヨセフに感動を覚えているのだろう。

「マタイ福音書」によると、ヨセフは血統的にはダビデの血統だ。イスラエル人が最も愛し、尊敬するダビデ王の第42代の末裔だ。そのヨセフがなぜ大工だったのかは不明だ。聖書には多くの不明な点がある。

ユダヤ民族が尊敬するダビデ王は実際、敬虔な人間であり、神に忠実な信仰者だったが、一度だけ過ちを犯した、自身の兵士ウリヤの美しい妻バテシバを愛したために、そのウリヤを前線に送り殺させ、自身はバテシバと結婚したことだ。ダビデはその後、何度も後悔し、神に許しを乞うている。

興味深い点は、そのダビデ王の血統をひくヨセフがダビデ王とは全く逆の道を歩ませられていることに気が付く。自分の妻を別の男に取られ、その男との子供を世話する立場にあったからだ。ヨセフの歩みはダビデ王の過ちを償うためだった、という解釈さえできるほどだ。

聖書の書き手はヨセフの血統に「ダビデ」の名を書いているが、ダビデとヨセフの数奇な運命を示唆したかったのではないか。隠したければ、その事実を書かなければいいだけだ。マリアが数カ月間、エリザベツ宅に滞在したという事実も同じだ、マリアとザカリアとのアフェアを書き手は知っていたが、イエスの神性を傷つける事実を記述せず、示唆しただけに留めたわけだ。

クリスマス・イブにこのような話はひょっとしたら相応しくないかもしれないが、イエスが救世主であったという事実は変わらない。ただ、イエスの血統には妾が含まれ、イエス自身が庶子であったという事実だ。

イエスの偉大さ、神性さをより理解するためには、イエスの33歳の生涯と降臨目的をもう一度、冷静に検討する必要があるだろう。メリー・クリスマス!


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年12月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。