非合理に見えて実は合理:2020年にワクワクする理由

2020年が目前に迫る年の瀬、いよいよオリンピックが近づいてきたという実感が強い。弊社が外苑前にあることから、新しい国立競技場の雄姿を見ることが多いこともその一因であろう。何となくワクワクするのは私だけであろうか。

幼い頃、野球観戦が大好きだった私は、テレビにかじりついてナイター中継を良く見ていたが、そんな私を母親がよく「野球の結果なんて、明日の新聞を見れば分かるじゃない。自分がやっているわけでもないスポーツを見て何か意味があるの?」と難詰していたことを思い出す。幼心に納得はできなかったが、かといって、論理的には何の反論も出来ず、無言で母親に背を向けてテレビに向かったものだ。

スポーツ観戦、なかんずくオリンピック観戦が「無駄だ」と言い切る人は、誘致の初期の頃を別にすれば、格段に減っている印象を受けるが、我々は日頃、色々なものについて「合理的」に考えすぎて、それらを無駄だと切り捨ててしまい、多くの大事なものを失ってしまってはいないだろうか。

確かに合理・非合理で割り切ると、色々なものが無駄になる。しかも、我々の多くがある時から、学校教育・社員教育その他の数多の機会の中で、合理性や論理的必然性などをベースに物事を考えることを強制されてきていることから、自ずと、多くの大切なものを失っているに違いない、と思う。厳密には、失っていることにすら気づいていないと言うべきか。

ただ、仕事柄、都会から遠く離れた地域に行くと、まだ、そうした「合理的な判断」という害悪に染まり切っていない何かがあって、ほっとすることがある。恩には恩で返そうという義理、自己犠牲をしてまで他人の役に立とうという利他の心などが息づいていると何か落ち着くのは私だけではあるまい。ただ、そういう場所が文字通り「消えかかっている」のも確かだ。

「少子化が進展して、人口1億2,000万人の日本で出生数が90万人をついに切りました。」というニュースを聞いても、切実な危機感は生まれないが、「人口4万人弱の某市で、出生数が200人を切りました」という話を聞くと、途端に切迫感が出てくる。これから生まれる全員が100歳まで生き、一人も町を出なかったとしても人口は2万人となり(200人×(1~100歳))、人口が半減する。しかも出生数は減り続けているわけだ。

「限界集落?、地域の良さ?、そんなコストセンターは切り捨ててしまい、日本人は東京・大阪・名古屋などの大都市圏に全員移住するべきだ」という「合理的」言説を耳にすることが最近多いが、そんな時は、母親に背を向けてテレビに向かったかつての自分よろしく、論理的な反論はせず、ただ、聞き流すようにしている。

やや虫の居所が悪い時は、「地震や風水害などが頻発し、寒い冬がやってくるなど各種コストがかかる日本からは、全員が、常夏の地や一年中温暖な場所に移住した方が合理的に考えて良いってことですか」と言いかえしてみたりすることもあるが。

陸軍でも海軍でも空軍でもないアメリカ海兵隊が米軍の強さを際立たせていたり、ハンドルの「遊び」があるから車がまっすぐに安定的に走れるという事実があったり、時に喧嘩したり迷惑をかけ合ったりしている隣人同士の方が、顔も良く知らない礼儀正しい隣人同士よりどう見ても素敵な「人間関係」を構築していたり、世の中は、非合理に見えて、実は合理、ということも少なくない。

さて、オリンピックイヤーの2020年はどんな年になるのだろう?
人生も未来も、実は見えすぎているより、見えなさすぎる方が、ワクワクしていて楽しかったりする。

朝比奈  一郎    青山社中株式会社  筆頭代表(CEO)

1973年生まれ。埼玉県出身。東京大学法学部卒業。ハーバード大行政大学院修了(修士)。経済産業省ではエネルギー政策、インフラ輸出政策、経済協力政策、特殊法人・独立行政法人改革などを担当した。 経産省退職後、2010年に青山社中株式会社を設立。政策支援・シンクタンク、コンサルティング業務、教育・リーダー育成を行う。中央大学客員教授、秀明大学客員教授、全国各地の自治体アドバイザー、内閣官房地域活性化伝道師、内閣府クールジャパン地域プロデューサー、総務省地域力創造アドバイザー、ビジネス・ブレークスルー大学大学院客員教授なども務める。「プロジェクトK(新しい霞ヶ関を創る若手の会)」初代代表。青山社中公式サイトはこちら