以下のインタビューは、週刊誌「東洋経済」11月23日号特集「NHKの正体ー膨張する公共放送を総点検」に掲載された、筆者執筆記事(「実は政府の影響を排除しきれていない 本当にNHKのお手本になる? BBCの意外な実態とこれから」)のために行われたものです。
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「NHKは、大丈夫なのか?」
そんな声をあちこちで聞くようになった。筆者は英国に住んでいるので、日本で放送されているNHKの番組をじっくり視聴する機会がない。一時帰国中も十分にニュース報道を比較することがないので、NHKのジャーナリズムが今どうなっているかを判断しにくい。
しかし、日本に住む知人・友人からよく「NHKの報道が政府寄りになっている」という感想をもらうようになった。
一方、NHKから国民を守る党(略称「N国党」)が支持を拡大させ、国会で議席を獲得するまでになった。その編集体制に疑問が呈される事件も次々と発生し、最近、テレビ番組を放送と同時にインターネットでも配信する「常時同時配信」について、NHKは実施基準の見直しを高市総務相に求められた。
NHKに逆風が吹いているのを感じている。
翻って、英国の公共放送BBCはどうなのか?
筆者は、「なぜ英国でN国党のような政党が(まだ)ないのか」をテーマに放送を専門に研究する学者数人に話を聞いてみた。
3回にわたって、紹介してみたい。
第1回目は、英国で放送業行政の研究者としては第一人者となる、ウェストミンスター大学のスティーブン・バーネット教授の話である。
BBCの民営化を主張する人もいる
ー英国で、BBCに対して批判が高まり、N国党のような政治勢力の勃興に繋がったという事例はあるのでしょうか。
バーネット教授:反BBCの運動は、これまでにもありました。BBCの報道が「左寄りすぎる」ということでBBCを嫌っている人たちによるものです。BBCが「バランスの取れた報道をするよう」批判しているのだと説明するわけです。右派勢力の人がよくそう言います。「BBCは民営化されるべき」、と主張する場合もあります。
ーNHKは、リベラル系の人からも批判されているようです。NHKのニュース報道が政府の広報のようになっているという人もいます。権力に十分に批判的ではない、と。日本のテレビ界では民放の力が強いですし、多くの新聞社は放送局や出版社などの他のメディア企業を系列化しています。NHKに対するプレッシャーは大きく、自ら放送受信料を減少させているほどです。
民業を圧迫してはいけないというプレッシャーがかかる、ということでしょうか。
日本の放送受信料はいくらになりますか。
ー衛星放送を含むと年間2万円ぐらいですので、BBCのテレビライセンス料(NHKの受信料にあたる)と同じぐらいですね。NHKの報道は政府寄りになっていると言われており、政府にとって都合が悪い、いわゆる森友学園問題などを追求した記者が退職する事例もありました。
政府寄りになっているかもしれないという指摘は、大変興味深いです。
ー英国では、どうなっているのでしょうか。
英国では、「公共サービス放送」の強い伝統があります(筆者注:BBCと主要民放・商業放送の数局がこのカテゴリーに入る。報道番組は不偏不党にするなど、様々な規制がかかる)。
この公共サービス放送も、かなりのプレッシャーを受けていますよ。
特に、英国の欧州連合(EU)からの離脱(=「ブレグジット」)問題がそうです。残留するか、離脱するかで、国民の意見が二分されました。公共サービス放送として、これをどう報道するのが正しいのか。
日本で、NHKに対する「民業を圧迫するな」というプレッシャーがあるというなら、ここでもそれはありますよ。特に、BBCオンラインのニュースが批判されています。新聞界が特に批判的です。無料でニュースを出すBBCがいるので、自分たちはニュースサイトで利益を出せない、と言います。BBCはラジオ放送も存在感が大きいですし、BBCのテレビ、ラジオ、オンラインが民放・新聞界からの批判対象になっています。
N国党はまだないが
ーでも、BBCを壊そうとする政党ができているわけではないですよね?
BBC打倒だけを目的とする、シングル・イシューの政党は、確かに存在していません。
ただ、(小さな政府を目指す)保守党(現在の与党)は最もBBCに対して批判的な政党と言って良いでしょう。
特にここ数年の動きを見ていると、そう思います。ライセンス料の金額が減らされたわけではありませんが、保守党政権はライセンス料を使ってBBCに追加の事業をさせようとしています。その中でも、もっともBBCにとってつらかったのは、75歳以上の人が住む家庭のライセンス料を負担するようにされたことです(注:この金額は、これまで政府が税金によって負担していた)。
ーひどいですね。
その負担額は年間7億5000万ポンド(約1千億円)にもなります。ですので、(国民から意見を募って、その結果)低所得の年金生活者の家庭の分のみ、負担することにしましたね。
このように、政府はBBCの運営を苦しくさせたり、その収入を事実上減少させたりするというわけです。それでも、表向きには、「保守党としてはBBCの存在価値を認めている」、と言いますね。
ー保守党議員で、以前にBBCを含む放送業の所轄省庁となる文化・メディア・スポーツ省(現在のデジタル・文化・メディア・スポーツ省)の大臣がずいぶんBBCに厳しい態度を取っていたことを記憶しています。ジョン・ウィッティングデール議員でしたね。一体どんな背景があって、BBCに厳しかったのかと不思議でした。
確かに彼は厳しかったですね。BBCは彼が大臣だった時に厳しい時を迎えました。あの議員はいつもBBCに対して批判的だったんです。BBCの小規模化を志向していました。
ーなぜ、そう思ったのでしょうか。
2つ、理由があると思います。1つはイデオロギーです。彼は保守党の右派になります。したがって、自由な市場が全ての答えになると考えています。公的助成や国家の干渉をなるべく少なくした方が良い、と考える人です。このため、BBCが潤沢な資金を持つことを歓迎しません。
もう1つは、彼はいつも新聞界と近い位置を保ってきました。新聞王と言われるルパート・マードック氏が率いるマードック・プレス(タイムズ、サンデータイムズ、サン紙など)と常に近い関係を持ってきたのです。
英国では、全国紙は非常に強い力を持っています。商業プレスが非常に強いロビー団体にもなっています。ですので、ウィッティングデール議員は新聞界のお気に入りになろうとしたのです。
ライセンス料を払うことに価値を見いだす英国民
ーそれでも、現在のところ、日本のN国党に相当するような、BBCを倒すことを目的とする政党は英国にはありませんね。これはつまり、国民がBBCの存在目的を認めている、ということを意味するのでしょうか?
確かに、そうです。もし誰かが、BBC を攻撃することを唯一の目的としてシングル・イシューの政党を立ち上げたとしても、あまり支持は得られないでしょう。というのも、この国の多くの人にとって、BBCはとても人気がある組織だからです。
複数の調査によると、中にはライセンス料を払いたがらない人もいますが、大部分の人はライセンス料は払う価値があると考えています。お金に見合うだけの質があり、多様性がある番組を放送している、と。
BBCには公的価値があると見られています。公共サービスの一つである、ということが認識されていますし、多くの国民が公共サービスの価値を重視しています。
ですので、そんなBBCを破壊することを目的とする政党は、それほど人々の支持を集められないと思うのです。
ーこの「公への奉仕(サービス)」という考え方をもう少し、説明していただけませんか。
社会の他の人のためにサービスを提供する組織の存在に信頼を置いている、ということです。
例えば、BBCにはラジオ3という放送局がありますね。クラシック音楽を流す放送局ですが、リスナーは限られた人々です。でも、多くの人が、BBCがこうしたサービスを提供するべき、と考えています。
アジア系音楽を専門に流す、BBCのラジオ局もあります。アジアに関係がない人、そんな音楽を聞かない人もいるのですが、それでも、BBCの業務の一つとして存在することを、人々は支持しています。
自分には関係なくても、他の人が利用するサービスを支援するという考え方なのですね。
ーそういう考え方はどこから生まれたのでしょう?
さて、どう説明したらいいでしょう・・・集団主義的考え方と言えるでしょうか。社会民主的なアプローチです。集団のために何かを行う、ということ。欧州的かもしれません。
2016年、EUを離脱するか残留するかの国民投票がありました。
離脱に反対した理由の1つは、英国の価値観が欧州の価値観に根ざしたものだと残留派市民が考えたからではないかと思うのです。市場や個人主義に大きな価値を置く米国とは異なるのだ、と。米国では、自分のためにお金を出し、欲しいものを得る、と。欧州のように集団のためにお金を払う、という価値観ではない、と。
英国にはこの集団のための善行という考え方があると思います。あなたの質問は、非常に面白いですね。
ー欧州諸国では、公共サービス放送の強い伝統がありますよね。
確かに、そうです。
「10年後も、BBCに対する英国民の見方は変わらないだろう」
ーBBCはこれからどうなると思いますか?今後10年、あるいは20年で、人々のBBCに対する見方は変わるでしょうか。
私は、変わるとは思っていません。
BBCに対して、敵意が募っている、あるいは反感が高まっている感じがしないからです。
ブレグジットをめぐる報道では、確かにBBCに対する不満感はありますが。
BBCが、離脱を推進したい政府の意見に追従しがちなのではないか、という批判があります。心配ではありますが、だからと言って、BBCに対する反感が強まっているとは思いません。
英国に住む人は、ライセンス料は払う価値があると思っています。
もしBBCに危機が訪れるとすれば、ネットフリックス、アップル、アマゾンなどによる有料ストリーミングサービスの人気ではないでしょうか。
でも、こうしたストリーミングサービスが何を提供しているか(注:ドラマ、ドキュメンタリー、エンタテインメントなど)を見ると、もしこうしたサービスだけになってしまったら、集団の善のために何かをやることや、社会を構成する人全員に同じサービスを提供すると言ったことが、崩れてくると思います。
ーBBCは心配しているようですよね。ネットフリックスなどに自分たちが呑みこまれてしまうのではないか、と。
確かにそのようですが、でも、私は過去40年ほど、BBCをウオッチングしていますが、BBCはいつも何かを心配しているんです!
BBCが「心配している」という時、実は将来に歩を進めようとしていることを意味します。これから大きな変化が生じてくるので、BBCとしてはどうしたらいいのかを考えているのだ、と。ストリーミングサービスがさらに人気になった時、BBCとしてはどのような存在であるべきか。いかに、人々の生活に欠かせない存在であり続けるか。
これまで、創業から約100年の間、BBCは常に人々の日常生活において、欠かせない存在となってきました。ニュース、ドラマ、子供向け番組、スポーツ番組などを提供してきたのです。これまでは、成功してきたわけですが。
ー言論空間について、お伺いしたいのですが、近年、政治的な議論において中道の行き場がなくなってきたと言われています。懸念をしていらっしゃいますか。BBCはニュース報道において、不偏不党が義務ですよね。すると、ブレグジットのような話題では、どちらも満足させることができなくなります。両方から批判が来る・・・。
懸念はしています。
ブレグジットは特別な現象です。こんな状況は今までに見たことがありません。国が離脱派と残留派の2つに大きく割れていますよね。
BBCは妥協点を見つけるのがうまいんです。どこかに落とし所を見つけます。でも、今回は難しい。国民は、2つの方向にますます離れていってしまいました。
BBCとしては、報道が非常に難しくなりました。離脱派からも残留派からも批判されます。特に、政府に近すぎるとさえ言われました。BBCとしては、全ての側の見方を紹介しようとしてきました。でも、非常に難しい。まだブレグジットは終わっていませんが、将来的に全てが終わった時、何らかの形での修復が必要かもしれません。
ライセンス料制度は続くのか?
ーこれからも、ライセンス制度は続くでしょうか。今のところ、今後5年先までは維持することになっていますが、その後のことは決まっていませんよね。
数年先までしか決まっていないというのは、普通です。いつもそうでしたから。
BBCの存立を規定する「王立憲章」ですが、これの有効期間は今回は11年間です。10年後にはBBCはないだろうという人もいましたが、今は少なくとも2026年度までは存在することになります。5年後にライセンス制度の見直しをする、というのは合理的だと思いますよ。
私の予想では、結論を先延ばしにするだろうと思います。そしてまた「5年後に見直す」となるのではないでしょうか。
ーBBCについて、心配していることはありますか?
資金繰りですね。緊縮財政を敷いてきた政府が、(ライセンス料の値上げ凍結という形で)BBCの収入を事実上削減したことで、大きな損害が発生したと思います。もっと資金を投入するべき分野があると思いますし、その一例はニュース報道だと思います。
フェイクニュースの蔓延も懸念しています。BBCがこれにどう対応するか。
ーネットフリックスやアマゾンなど、有料購読制による動画視聴サービスの影響はどうでしょう?特に、若者層はテレビではなく、ネットでコンテンツを消費する傾向が高いので。
負の影響が出ることもあり得ますが、この市場は動きが大きい市場ではないかと思っています。ディズニーも参戦しましたし、アップルもあります。複数のサービスが有料動画市場で戦っているわけです。みんなが視聴者からお金を取りたがっていますが、負債を抱えながらの経営ですから、それほど大きな利益を得ることができないのではないでしょうか。赤字の場合もあるでしょう。
いつか、自然淘汰が起きるでしょう。そのうち、購読料を上げざるを得なくなります。
公共サービスとしての放送業には安定性があります。質の高い番組を作っていく限り、市場のどこかにひっそりとでも生息し続けるのではないでしょうか。
ーそれでは、BBCの将来がどうなるかと案じて、眠れない夜を過ごす必要はないわけですね?
まだそうする必要は、ないでしょう。
編集部より;この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2019年12月28日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。