如何に「選択の年」を生き抜くか

「時代は動く」ではないが、2019年は過ぎ去り、あすは新年を迎える。19年を振り返ると、読者の皆様に助けられ、励まされた1年だった。同時に、コラムの新しいヒントさえも提供して下さる読者も現れ、コラムニストとしては大助かりの年であった。今年最後のコラムを書き出す前に読者の皆様に感謝したい。読者のいないコラムは、観客のいない博物館よりも寂しい。読者あってこそコラムを書く気力が湧いてくるからだ。

「令和時代」の幕開けを告げられた天皇皇后両陛下(宮内庁公式サイトから)

先日、ローマ・カトリック教会関連のコラムに対し、「教会と信者たちの関心は次期コンクラーベ(教皇選挙)に注がれています」というコメントを頂いた。多分聖職者か信者の読者だろう。貴重なアドバイスだ。ポスト・フランシスコのテーマは考えていたが、他のテーマに奔走していたこともあってすっかり忘れていたので、「そうだな」と教えられた次第だ。

2020年はいろいろな意味で「選択」の年と感じる。地球温暖化対策など「地球レベルの選択」から、日本ならば安倍晋三首相の4選問題から衆参同時選挙の「国家レベルの選択」、所属する会社、団体、組織の「生存の為の選択」、そして受験、就職、婚姻などの「個人レベルの選択」まで、様々な選択に対峙する新年となることが予想される。

もちろん、生まれてから死ぬまで人は無数の選択を強いられている。「選択は人生にはつきものだ」といわれれば、その通りだが、新年はその「選択」がこれまで以上に決定的な影響を与えるのではないか、と感じるのだ。

第266代のローマ教皇、南米出身のフランシスコ教皇が選出されて間もなく7年目を迎える。生前退位したドイツ人のべネディクト16世の後継者となった時に既に76歳だったフランシスコ教皇は、「私は長い期間、教皇に留まる考えはない」と既に生前退位の意思があることを示唆している。その教皇は今年12月で83歳を迎えた。そろそろ体力的にも無理が出来ない年齢に入ってきたこともあって、「フランシスコ教皇の後継者問題」が教会内外で囁かれ出したというわけだ。

ヨハネ・パウロ2世の死去、べネディクト16世の生前退位後に開かれたコンクラーベは2日余りでペテロの後継者を選出している。インターネット時代を反映してか、コンクラーベ期間が短くなった。参考までに、クレメンス4世(1268年死没)の後継者選出では1006日と2年半以上の月日がかかった。コンクラーベ期間の最長記録だ。教会関係者も信者たちも当時、「いつ次期教皇が決まるのか」というイライラした声が飛び出したといわれている。

フランシスコ教皇の後継者選びも多分、あまり多くの時間が必要ではないだろうが、ローマ・カトリック教会にとって次期教皇の選出問題より、聖職者の未成年者への性的虐待問題への対応と、それによって失われた信者たちの教会への信頼を如何に取り戻すか、といった問題のほうが重要だ。世界に13億人の信者を有するカトリック教会は組織として存続の危機に直面している。

冷戦が終焉して喜んでいたのも束の間、「第2次冷戦の到来」といった見出しがメディアで報じられ出した。客観的に言えば、その見出しは誇大広告ではない。ロシア・中国の軍拡は急テンポで進められてきた。極超音速ミサイルの発射に成功したと豪語するロシア、新シルクロード「一帯一路」で世界の制覇を目指す中国の急台頭は、世界の安保を危機に陥れている。

特に、中国は共産党政権が支配している。中国共産党政権は「中国製品2025」戦略(Made in China 2025)を公表し、習近平国家主席の野望に基づき、ITやロボット、宇宙開発などの先端技術で世界を制覇する目標を掲げている。例えば、次世代通信規格「5G」は25年には中国市場で80%、世界市場で40%の市場占有率を実現するといった目標だ。

イランや北朝鮮の核問題も新年には大きな転換期を迎える。世界に核保有国は9カ国だ。イランが核保有するならば、サウジアラビア、エジプトなどの中東で核の拡大が現実味を帯びてくる。

新年で迎える最も大きな選択は次期米大統領選であることは間違いない。トランプ大統領が再選されるか、民主党大統領が出てくるか、現時点では不明だが、米国民の「選択」は世界に大きな波紋を投じるだろう。イランや北朝鮮の最近の動向は米次期大統領選を予測した上での行動だ。米中貿易戦争、イスラエルの動向もしかりだ。

「欧州の顔」といわれてきたメルケル独首相の政治力が衰退してきた欧州連合(EU)では、マクロン仏大統領やフォン・デア・ライエン新欧州委員長らが中心となって、移民問題の対策と低迷期に入ってきた欧州経済のかじ取りで奔走せざるを得ないだろう。もちろん、英国のEU離脱(ブレグジット)後の動向、英国を失ったEUの結束など課題は山積している。

時代が大きく動く時、人は無意識のうちに不安と焦燥感に捉われるものだ。昔ならば「間違った選択」の影響はローカルなレベルに留まったが、グローバリゼーションの今日、一つの選択の間違いは世界に影響を及ぼす。だから、国のかじ取りをする為政者も選択をする時、懸念と恐れすら感じる状況が出てくるだろう。勇気ある、賢明な選択を願いながらも間違った選択をしてしまう事態が十分考えられるからだ。

「選択」には結果が出てくる。それだけに恐ろしいが、それを避けては通れないのが人生であり、世界の実情ではないか。「選択」が大きな意味と価値、そして責任が伴う時代に入ってきたのだ。

一つの言葉を紹介する。ドイツ語を学び出した人ならば一度は聞いたことがある言葉だ。

「Der Mensch denkt, Gott lenkt」(人は考え、神は導く)

2020年が読者の皆様の上に幸ある年となりますように。そして日本を含む世界が少しでも共栄共存の社会となることを祈りながら、今年最後のコラムを閉じる。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年12月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。