2019年は、カルロス・ゴーン氏のレバノン逃亡のニュースで終わった。検察や日産の関係者の談として、保釈が間違いだった、という見解が伝えられている。
この見解の妥当性は、8日に開催されるというゴーン氏の会見後の国際世論の動向によって試される。そのことは肝に銘じたほうがいい。
もし拘束の(仕方の)に不当性があったというゴーン氏の主張に説得力があった場合、保釈の判断だけは妥当であったことになる。さらなる不当な扱いから逃れるためにゴーン氏は出国した、という訴えにも、一定の説得力が出てきてしまうだろう。
保釈中に国外逃亡したことの違法性と、そもそもの横領事件の違法性とは、別次元の問題になる。国外逃亡したのだから、そもそもの事件でも犯罪者であったことが確定したし、検察の保釈不当の訴えにも理があった、という主張をするのは、愚の骨頂だ。むしろ無罪の者でも拘束し続ければいずれ自白すると考えているので拘束し続ける、という悪評を裏付けることになる。
日本政府は、国外逃亡したことの違法性に加えて、そもそもの事件をめぐる日本政府の対応の妥当性についても、弁明をする準備をしなければならない。
日本政府は、英語で国際世論戦に突入する準備をしなければならない。
「日本の国内法ではこうなっている」とつぶやくだけのガラパゴス的な対応では、日本という国の国際的な威信が崩壊する。
従来から、私は、憲法学「通説」批判の観点から、日本の司法界のガラパゴス性について問題提起をする文章を書いてきた。おそらく日本の検察では、国際的な議論に対抗することはできないだろう。外交当局や政治指導部が、英語で、論理的で説得力のある議論を、速やかに国際的に発信していく準備をしなければならない。
「日本の検察を信頼している」という内向きの発言だけに終始するようでは、国際世論戦で大敗北を喫することは必至である。
万が一、日本の検察の態度に国際人権法にてらして不備と言わざるを得ない面があったのだとしたら、それは率直に認める度量を見せながら、それでもなお日本政府の立場の全体的な立場の妥当性を訴える仕事を、然るべき日本政府の関係者が、英語で、海外メディアに対して発信していく必要がある。
なお加えて外交的対抗措置を検討することも、当然だろう。弱小国の国家予算を上回る資産を持つ人物であれば、一般人には不可能な方法で、国家に対抗していくこともできる。日本政府としては、万が一にも、レバノンに対するODAの増額で解決を図るようなことはあってはならない。
日本の総合的な国力が停滞している中、日本の司法制度の封建制が国際常識になってしまうことは、防ぎたい。
篠田 英朗(しのだ ひであき)東京外国語大学総合国際学研究院教授
1968年生まれ。専門は国際関係論。早稲田大学卒業後、