外遊先で抗議のデモが予想される国家元首としては中国の習近平国家主席、イランのロウハ二大統領が1、2位を争うだろう。後者は昨年12月20日、日本を訪問し、安倍晋三首相と会談したばかりだ。幸い、同大統領の訪日で大規模な抗議デモがあったとは聞かない。
そして4月には習近平主席が訪日するが、実務訪問ではなく、国賓訪問だ。中国新疆ウイグル自治区の少数民族ウイグル人への人権弾圧は国際社会で大きな批判の声が出ている。
それだけではない。チベット仏教徒への迫害、そして法輪功信者への弾圧、臓器の強制摘出問題は久しく指摘されてきたが、習近平時代に入って人権弾圧は激しさを増している。
例えば、江沢民主席時代〈1993~2003年)から始まった法輪功迫害は生きたままの臓器移植を組織的に行うなど、その非人道的な状況は類を見ない(「法輪功メンバーから臓器摘出」2006年11月23日参考)、(『人体標本展示』の遺体のDNA鑑定を」2018年10月24日参考)。
その中国共産党政権のトップ、習近平主席が国賓として訪日することから、国際人権活動家や反中活動家たちが訪日反対を叫び、人権弾圧への抗議デモを行うことが予想される。ホスト国の日本側はゲストの身辺警備にこれまで以上に神経を注ぐことになるだろう。
ここでは習近平氏の訪日で浮かび上がる「人権」問題について考えたい。中国共産党政権や独裁国家・北朝鮮は、国連人権理事会やメディアで人権蹂躙の批判を受ける度に、「根拠のない中傷」と反論し、その次は「内政干渉だ」と開き直るケースが多い。
「世界人権宣言」によれば、「人権」は人間の普遍的な権利であり、いかなる国家も基本的権利を蹂躙できないと明記されている。その観点からいえば、内政干渉は弁明にならない。中国の少数民族ウイグル人やチベット人の「人権」は国際社会で保障されたものであり、中国共産党がその権利をはく奪することはできない。香港の自由民主化を求める若者たちのデモ行進も本来、基本的人権に入る活動だ。
中国共産党政権はウイグル人を強制的に収容所に送り、再学習という名目で同化政策を強要している。国際人権団体のアムネスティ(IA)は「100万人以上のウイグル人が強制収容されている」と報告しているが、北京は「強制収容所ではなく、職業訓練所だ」と詭弁を弄して批判をかわしている。
元駐英北朝鮮大使館公使だった太永浩氏の著書「北朝鮮外交秘録」(文藝春秋発行)には興味深い話が記されている。欧州連合(EU)の議長国としてスウェーデンのバーション首相が2001年5月2日、平壌を訪問した時だ。同首相が議題になかった人権問題を突然持ち出したのだ。
「バーション首相は北朝鮮の最高指導者の面前で人権問題を公式に提起した最初で最後の外国人だ。それまで外務省は、金日成や金正日に対して人権問題について申し立てる可能性のある外国人は、招くことすらなかった。たとえ訪朝が許されても、最高指導者との会談や面会などは夢にも思えないことだった」(152頁)という。
金正日総書記の側近たちは人権問題が飛び出すと驚くとともに、金正日がどのように返答するか心配だった。金正日の返答が面白い。
「われわれの体制は以前のソ連とかなり似ているので、西側にとっては受け入れがたい部分が多いだろう。だが人権についての話し合いはできないこともない。やろう。ただわれわれと西洋は人権の社会政治的な概念からして違うため、簡単には合意できないだろう」(154頁)と答えている。
金正日は、「わが国にとって人権は国権だ」と述べ、西側の人権批判に対し一蹴したわけだ。人権批判に対してこれまでの「内政干渉」から一歩前進し、「国権だ」と主張したわけだ。
「国権」だから、その国の為政者が国民をどのように扱おうと、為政者の権利だというわけだ。金正日総書記だけではない。北京の中国共産党政権の人権の概念もそれに近いだろう。法輪功の若い信者から生きたままで臓器を取り出し、若い臓器を必要とする共産党老幹部に移植している。
それだけではない。韓国など外国の移植希望者に高額で売る臓器移植ビジネスが繁栄している。中国共産党政権は「国権」という名のもとで堂々と人権弾圧を行っているわけだ。
安倍晋三首相はそのような国から国賓ゲストを招いたわけだ。批判は当然だが、中国との安全問題、経済問題を考えた場合、中国は隣国韓国ではない。日本の国益にも密接に関連している国だ。中国側の国賓待遇の訪日要請をむげに断れなかったのだろう。理解すべきかもしれない。
それでは安倍首相は習近平氏に対して中国国内の人権問題に言及すべきだろうか。安倍氏に、習近平氏の面前で“第2のバーション首相”となる覚悟があるだろうか。
当方は、人権が「国権」という中国に対して「神権」という用語で説得を試みたらどうかと考えている。「神権」は、人間の権利を意味する「人権」の反対語ではなく、宇宙・森羅万象を含む被造世界の権利を意味すると解釈すべきだ。
「人権の擁護」に対して「神権の擁護」は、2020年代の主要課題である地球温暖化対策を含む被造世界の権利擁護に通じるわけだ。ここでは創造主の神の権利を指すキリスト教的な教義の意味ではない。
安倍首相が「人権」問題を持ち出せば、「内政干渉」、「国権」という立場からあっさりと拒否されるだけではなく、ゲストは顔を赤くして激怒するかもしれない。
それに対し、安倍首相は新用語「神権」を持ち出し、人権を含む森羅万象の権利を強調すれば、習近平氏は多分、驚き、耳を傾けるだろう。
習近平氏は眼前で「中国の人権」を直接言及されれば不快になるが、「神権」の擁護を訴える安倍首相の主張には頷かざるを得なくなるはずだ。
もし習近平氏が「神権」に対しても反対を表明するならば、地球温暖化対策反対を意味すると受け取られ、グレタ・トゥ―ンベリさん(17)だけではなく、世界各地から「人類の敵」として酷評される危険性が出てくる。
賢明な習近平氏はその辺を素早く理解し、安倍首相との会談で「神権問題で両国は合意に達した」というメッセージを発信できれば、安倍首相と習近平氏の日中首脳会談はウインウインで幕を閉じることができる。
安倍首相は中国の人権問題に言及でき、習近平氏は自国の人権問題を内政干渉と言って一蹴せず、「人権」より大きな概念、「神権」の重要さを強調すればいいわけだ。
しかし、繰返すが、「神権」の中には「人権」も含まれているから、ウイグル人への人権弾圧はやはり糾弾されることになる。ただし、「人権蹂躙」ではなく、「神権蹂躙」としてだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年1月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。