カタルーニャ州政府が外国での大使館開設に意欲再燃でまた騒動

カタルーニャの住民がマドリードで住宅を探している

毎週バルセロナからマドリードに商用で訪問している大手企業の重役が、地元メディアの取材にこうボヤいている。

「バルセロナで今起きていることは残念だ。マドリードに来るたびにその活発さ、また、お客で一ぱいのバルを見て羨ましく感じる」
「バルセロナはくすんでいる。毎日プロセス(独立運動)と呼ばれている同じテーマばかりだ」
「しかも、他の地方に比べ高い税金を払うだけでなく、9万ユーロ(1000万円)以上を稼ぐとまた一撃(課税率up)くらうことになる」

この重役もそうだが、マドリードで住宅を探しているカタルーニャの住民が増えているそうだ。(カタルーニャの)独立支持派による漂流と税金の値上げから逃れる為である。「首都のサラマンカ地区といった高級住宅地での物件を求めるカタラン人からの依頼が増えている」と語っているのはマドリードの不動産業界である。因みに、カタルーニャは財政の悪化でスペインで税金が最も高い自治州となっている。(以上参照:okdiario.com

カタルーニャ州政府は“カタルーニャ大使館”の設置に熱心

カタルーニャ州の地図(Wikipedia)

このようにカタルーニャの市民がプロセスに飽き飽きしてマドリードに移住しようとしている動きのあることをよそ目にカタルーニャの独立に(独立支持派には失礼な表現であるが)うつつを抜かしているのが現在のカタルーニャ州政府である。その動きのひとつに外国での「カタルーニャ大使館」の開設がある。

2017年12月にも書いたが、カタルーニャ州政府はかなり以前からスペイン政府の反対を無視して主要国にカタルーニャ大使館と呼ばれているものを開設していた。スペイン政府がそれに反対する理由は憲法で外交はスペイン政府だけに委ねられると規定されているからである。

同年10月にカタルーニャ州の自治権が停止された時点までに州政府はワシントン、ブリュッセル、パリ、ロンドン、ベルリンといった14か国の首都に同大使館を開設していた。自治機能の停止に伴って同大使館も閉鎖された。

州政府の自治機能が停止された際に、治安警察は州政府が保管していたプロセスに関係した一連の書類を押収したが、その中に61ページにおよぶカタルーニャ共和国の外交プランも見つかった。それによると、カタルーニャ共和国は10-15年の間に世界に60の大使館を開設すると計画されていたことが判明。その最初の段階として20か所に大使館を設けるが、そのスタートとしてブッルセル、ワシントン、ニューヨーク、パリ、マドリード、ロンドン、ベルリンの7か所に大使館を開設するつもりだった。さらに続いて、モスクワ、北京、ラバト、ブラジリア、ジュネーブ、ローマ、バチカン、ストラスブール、ストックホルム、ウィーン、リスボン、アンドラ、アルジェと続き、その後に東京、メキシコ、テルアビブなども構想に加えられている。

カタルーニャ共和国はその為の予算として1億4500万ユーロ(171億円)、800人の陣容で臨むとしている。因みに、スペイン政府の外務省は8億6200万ユーロ(1017億円)の予算となっている。(参照:vozpopuli.comcatalunyapress.es

Angula Berria/flickr

スペイン政府はカタルーニャ大使館の設置は違法と断定

憲法155条の適用によってカタルーニャの自治権の機能が停止されてから半年が経過した昨年6月に自治機能が復活すると州政府は再び大使館の開設の為の行動を開始したのである。ベルリン、ロンドン、ジュネーブで大使館の開設がそれである。更に、10月初旬にはメキシコ、ブエノスアイレス、チュニスでの開設も発表した。

それに対して、スペイン政府は憲法161.2条に基づいて国の外交を損なうことになるとしてそれを阻止すべく憲法裁判所に訴えていた判決が10月末に下って州政府の外交活動の中止が採決された。(参照:elmundo.eselpais.com)もちろんカタルーニャ州政府はこの判決を不服だとしてカタルーニャ自治州の最高裁に控訴した。「世界におけるカタルーニャの未来はスペイン政府がどのように抗議しようとそれを留めることはできない」というのが州政府の考えだからである。

それに対して、スペイン政府の広報活動の一環を担っているスペイン・グローバルのイレネ・ロサノ所長は「自治州の外交活動は文化、商業などの面においては推進していくことができる。しかし、スペインの外交はスペイン政府に独占的に委ねられたもので、それに自治州は歩調を合わせたものでなければならない」と指摘している。(参照:elpais.com

独立国家を目指すカタルーニャには独自の外交が必要

カタルーニャ州政府がこのようにスペイン政府の姿勢に背く外交を展開し続けようとしている根底にあるのは、カタルーニャは独立国家を目指すという考えからである。なぜならカタルーニャはかつて独立国家として存在していたと彼らは認識し、それがスペイン王位継承戦でハプルグル家に味方してブルボン家の前に敗れ、1714年に自治機能を失った。だから、それを復活させるのだという考えに基づいているのである。

しかし、カタルーニャが国家として存在したことはこれまでない。アラゴン王国の中で独立した自治機能を有したバルセロナ伯領としての存在であって、独立した国家ではなかった。

ところが、現在のカタルーニャの独立支持派は嘗ての自治機能を有していた時代はカタルーニャが独立した国家だと見てその再現をカタルーニャ共和国として誕生させたいのだ。その構想を達成するには独立する精神でもってスペイン政府とマンツーマンで取り組んで行くべきで決してそれに従属すべきではないと考えているのである。

スペインが民主化になって17の自治州にスペインを分割した際に、カタルーニャでカタラン語での学校教育を許したというのが間接的にカタルーニャの独立を促進する役目を果たすことになっているのも事実である。何しろ、20-30年前はカタルーニャの独立というのはカタルーニャの一部住民の中に意識としてはあったが、それが今のように独立運動にまで発展するような様相はなかった。

白石 和幸
貿易コンサルタント、国際政治外交研究家