北朝鮮の独裁者をソウルに招いた韓国大統領は過去2人いたが、2人とも招いた北の独裁者から「馬鹿者」扱いにされている。最初の大統領は「太陽政策」を標榜し、南北の融和を唱えた故金大中大統領(任期1998~2003年)、そして2人目が現在の文在寅大統領だ。2人とも北の独裁者をソウルに招く夢を実現できないばかりか、肝心の北の独裁者から「馬鹿者」呼ばわりされているのだ。
元駐英北朝鮮大使館公使だった太永浩氏の著書「北朝鮮外交秘録」(文藝春秋発行)を読んでいると、金正恩朝鮮労働党委員長の父親、故金正日総書記が国際情勢に通じた独裁者だったことが分かる。
金大中大統領は2000年6月、平壌で金正日総書記と南北首脳会談を行い、「6・15南北共同宣言」を締結し、ノーベル平和賞にも輝いたが、同大統領が推進した太陽政策について、金正日総書記は当時、かなり批判的だった。金正日は、南風で北を抱擁するという太陽政策の発想を警戒し、韓国主導の南北統一に強い警戒心を示していた。金大中が相互主義を頻繁に発言することにも強く反発していた。
その金大中大統領は金正日をソウル訪問に招いたが、金正日は最後までソウルを訪問しなかった。「北朝鮮外交秘録」には興味深いエピソードが記述されている。
欧州連合(EU)の議長国としてスウェーデンのヨーラン・ぺーション首相(当時)が2001年5月2日、平壌を訪問した時だ。ぺーション首相が金大中に頼まれたのだろう。金正日に「いつ韓国を答礼訪問する考えか」と聞いた。その質問に対する金正日の返答が面白い。
「南北関係がもう少し進展したらいくつもりだ」と答えたが、会談後、金正日は側近に「彼(金大中)はまだ私がソウルに行くと思っているのではないか。なんと愚かな」と述べたという。太永浩氏は「金正日の2枚舌はこんな風だ」と評している。
文在寅氏は過去、金正恩氏と何度も会い、南北首脳会談も開いてきたが、金正恩氏の信頼を勝ち得たか、というとそうではない。文大統領は金正恩氏をソウル訪問に招待した。その時は、金正恩氏は父親の金正日総書記と同様、「適当な時期を見つけて…」と外交的に答えたが、金正恩氏のソウル訪問はまだ実現していない。文大統領の任期後半に実現する見通しもない。むしろ、金正恩氏の文大統領への人物評価が時間の経過と共に悪くなってきているのだ。
朝鮮日報日本語版は7日、「北朝鮮の韓国向け宣伝メディア『わが民族同士』は6日、文在寅大統領が掲げる『韓半島平和構想』について『南朝鮮大統領府の今の当局者が自画自賛しながら厚かましくもてあそんでいる』と非難したうえで、『南朝鮮当局は我田引水の詭弁を並べるのではなく、現実を真っすぐ見て恥知らずな無駄口をやめた方がよい』と激しく攻撃した」と報じている。
「わが民族同士」の報道内容を読めば、金正恩氏の文大統領評価が急速に改善する見通しはないことが推測できる。一方、文大統領が南北融和路線を放棄し、金正恩氏のソウル訪問の夢を諦めたとは聞かない。もし文大統領がいまだ金正恩氏のソウル訪問を夢見ているとしたら、金正日が金大中大統領に対し「なんと愚かな」と呟いたように、金正恩氏は「馬鹿につける薬がない」と言っているかもしれない(「消えた金正恩氏のソウル訪問計画」2019年4月24日参考)。
最後に、なぜ金正日・正恩父子は韓国大統領のソウル招請に消極的であり、訪問しないのかについて、少し考えた。その答えは明らかだ。韓国内に北朝鮮の独裁者によって犠牲となった国民(朝鮮動乱など)やその家族が多数住んでいるから、独裁者がソウル入りすれば必ず激しい抗議デモが起きるだろう。すなわち、独裁者の身辺の安全確保が難しいのだ。どの国の指導者もテロなどの危険が排除できない訪問先を敬遠するだろう。その点、北の独裁者も同じだ。
ひょっとしたら、北の独裁者は北主導の南北統一が実現した時にソウルを凱旋訪問する考えかもしれない。文大統領が金正恩氏のソウル訪問の夢を捨てないのは、その日が案外近いと妄想しているのだろうか。
蛇足だが、故金大中大統領も文在寅大統領も共にカトリック教徒だ。神を信じる韓国の政治家は現実を直視できず、自身が描く夢を追いすぎる傾向が強い。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年1月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。