「人質司法」はなぜ起こるのか

池田 信夫

ゴーンの「日本の有罪率は99%だ」というコメントを私が誤解だと批判し、それに対して郷原信郎さんが「特捜事件では99%だ」と反論したが、これは論理的には矛盾しない。

ゴーンのいう有罪/起訴の比率は99%以上だが、起訴率が51.5%なので、有罪/検挙の比率は約50%で、世界的にみても低い。それに対して特捜事件では逮捕と起訴が一体化しているので逮捕=起訴だから、有罪率が99%になってしまうのだ。

刑事事件全体を考えると、検挙に至るのは氷山の一角で、内偵や張り込みの99%は空振りである。警察の検挙率が36%に落ちたのは捜査能力が落ちたからではなく、小さな事件の被害届けを受理しない「前さばき」が減ったためだ。

刑事事件(被害件数)の36%で容疑者が検挙され、その50%が起訴されるのだから全体の18%だ。そのうち90%以上は被告が事実関係を認めて量刑だけを争う訴訟なので、被告が否認して起訴事実を争う訴訟は刑事事件の1%強しかないのだ。

刑事事件の現場を知っている人ならわかると思うが、心証としてはクロでも立件できない事件は、無実の人をクロにする事件よりはるかに多い。日本の検察は、少しでも無罪リスクのある事件は立件しない疑わしきは起訴せずなのだ。

だから争う1%の事件では文字どおり一罰百戒をねらい、容疑者を「落とす」ために手段を選ばない。無罪判決はスキャンダルとなるので、いったん起訴した被告は絶対に有罪にするため、容疑を認めるまで拘束する「人質司法」が起こるのだ。

ゴーン事件は検察の見込み捜査の失敗

ゴーン事件も、特捜事件としては無理があった。逮捕容疑の金商法違反は形式犯だったが、逮捕して特別背任も自供させようという見込み捜査だったと思われる。これは経済事件ではよくあるパターンで、社会的地位の高いホワイトカラーは身柄を拘束されて孤立するとすぐ落ちるというのが経験則だ。

ところがゴーンが徹底抗戦したため、後から新生銀行のからむ横領事件が出てきて、さらにその後からサウジアラビアやオマーンのマネーロンダリングが出てきて、これを別の事件として起訴する泥縄の展開になった。

こういう海外に共犯者のいる事件を国内だけで立証することは不可能に近いので、裁判は当初の予想を超えて長期化する見通しになった。このためゴーンは「最高裁まで闘っていたら人生が終わってしまう」と考え、今回の逃亡計画を立てたのだろう。

それは彼の人生設計としてはわかるが、日本の法を破って刑事司法を批判するのは筋違いだ。自分が正しいと思うのなら法廷でそう主張して、無罪を勝ち取るのが法治国家のルールである。たとえ世界のマスコミを味方につけても、刑事被告人としての名誉回復はできない。

とはいえ今回の事件は検察の大失態であり、日本の刑事司法には反省すべき点も多い。特に逮捕=起訴になる特捜部では「疑わしきは起訴せず」のバッファがないので、被告を100%有罪にしようとする人質司法のバイアスが強い。そういう組織のあり方も含めて改革する必要があろう。