通信放送行政はなぜ総務省なのか

中村 伊知哉

総務省が揺れています。
日本郵政の問題を巡り前事務次官の辞任などもあり、年頭、高市大臣の職員向け訓示では「『郵政一家』はやめましょう」との言葉もあったそうです。

総務省は20年前の省庁再編で、郵政省、自治省、総務庁が合体してできました。通信・放送と郵便局とに分かれた郵政が今も一家と見られている、その問題意識の表れです。それは改めてこの分野の行政組織のあり方を問いかけるものでもあります。

20年前ぼくは郵政省を総務省に合流させる仕事を最後に霞が関を去りました。
郵便局ではなく通信・放送行政の扱いが担当で、再編後の行政も気に留めてきました。

そして再編以来ぼくは再再編を唱えています。
「文化省をつくろう」と明示的に唱えたのは今から10年前、民主党政権の日本版FCC構想に危機感を抱いてのことでした。

10年前のブログです。
文化省をつくろう! -1

文化省をつくろう! -2

IT本部+知財本部+総務省通信放送+経産省ITコンテンツ+文化庁のセット案は2018年5月に経団連が提言した「情報経済社会省」(デジタル省)と同様のものです。

省庁名が違うのでぼくは著作権を主張しませんが、名前はぼくの案のほうがよろしい。
7文字の役所は三流です。

その議論の前に、なぜ旧郵政省の通信・放送行政が総務省の内局に位置づけられたのか。
20年前の顛末を知る現役もほぼいなくなりました。
もう時効でしょう。
ぼくの記憶も薄れそう。
いま再び役所のあり方が問われる中で、共有しておくのがいいかな。
少し記録しておきます。

1997年、橋本龍太郎内閣。
NTT分割に決着をつけた郵政省は、次はNHK改革だと息巻いていた。
一方、内閣は省庁再編を最重要テーマに据えた。
官房総務課の筆頭補佐だったぼくは、大嵐が来ると考え、通常、省全体業務の総括役となるべきところ、省庁再編プロジェクト担当を志願し、就きました。

省庁再編を論ずる行政改革会議は8月、中間報告を発しました。
22省庁を大ぐくりし12に減らす。
その際、郵政省は通信・放送行政を独立委員会にし、郵政事業を事業庁に切り出して民営化する。
行政も事業も政府の外に放り出す。
即ち省庁再編=郵政お家お取り潰し、だったのです。

中間報告にパニックになりつつぼくは冷静に「だよなぁ」と思いました。
NTTを敵に回しNHKも身構える。
通産省とはITで「十五年戦争」を続け、大蔵省とは郵貯で「百年戦争」だ。
潰したくもなるよなぁ。
自分を映す鏡が曇っているよなぁ。
負け戦確定。
その中でいかに善戦するか、が命題でした。

中間報告が出た日に、通信行政の幹部二人から呼び出されました。
「お前ら(官房)の責任だ。即刻、辞表を出せ。」
だよなぁ。
もう一人のトップが言いました。
「天は自らを助くる者を助く。」
うむ。
承知しました。
パニックったり消沈したりしていないで、自らを助く活動をして、その上で進退を決めます。

省内の意見はキレイに3つに割れました。
局長級は通産省との合併「産業通信省」。
通信政策を産業政策と位置づける。
課長級は運輸省「運輸通信省」。
通信をインフラと位置づける。逓信省の復活案。
課長補佐以下の若手は新設の「総務省」の中に滑り込む。
通信は横割りの独自政策ジャンルという見方。

ただ、さきほどの通信行政二人(その後役所トップまで上られる)は、総務省の内局に潜り込むしか打開策はないという意見でした。ぼくもそれがいいと考えました。彼らは「総務省潜り込み策はオレたちが勝手に動く。お前ら官房は運輸の旗でも振っとけ。」とのご沙汰。

ともかく官房は役所としての立場を機関決定し、組織として動く必要があります。
まず局長級の命を受け通産省に打診。
ただ通産省の官房にストレートに持ち込むのは先方も迷惑につき、当時、工技院(現産総研)の総務部長に出ていた故・澤昭裕さんを密使と頼み相談しました。

澤さんの回答は明快。
「通信放送行政だけなら引き受けるけど、郵政事業も来るなら通産省は拒否する。巨大な宗教法人を抱えるみたいなもんだから。」
その言葉をそのまんま省議に持ち帰り、通産省との合併案はなくなりました。
宗教法人という言葉に、郵政省幹部も納得した風情でした。

続いて運輸省との合併が模索されました。協議を重ねました。
建設省との合併を行革会議から指示されていた運輸省にも考えるところがあった模様。
政治的にも筋がよいと見られ、自民党の将校クラスが署名運動を起こしました。
その指示でぼくが議員の署名を集めました。
300人ばかり集まりました。

そんな運動をすれば橋本政権の中枢は怒ります。
反逆ですもん。
ぼくら郵政内ゲリラとしては、その怒りが高まれば、お家お取り潰しではない別の答えが出るのでは、というかすかな期待がありました。
展望がありはしませんでしたが、走りました。

そして12月、政治決着を迎えます。
橋本首相と郵政族のドンだった野中広務議員の協議の結果、郵政省は総務省の内局2つ、ということになりました。
通信行政幹部が裏で動いた成果でもあります。

ぼくらは総務省に1室だけでももらって、捲土重来を期す、ぐらいが落としどころかと考えていました。
ぼくの入省前は通信行政は1室でした。局でも課でもない。
入省時は2局。その年に通信・放送・政策の3局となりました。
1室あれば、将来また育てられる。

だけど決着は、それまでの3局が2局に減るだけで済み、しかも郵政省という霞が関の辺境から総務省というど真ん中に来ることができる。政府の外に出される案と比べれば、大変な勝ち戦に転じました。

これは単なる政治の綱引きではなく、政策論で決した点が重要です。
通信放送の独立化は、政権が権限を外部に放り投げる案です。
ぼくはこれに危機感を抱いていました。
この分野に政治管理を不要として大丈夫か、そこまで日本は政治も行政も成熟していないだろう。
野中さんも同意見でした。

米FCCのように、あるいは公取のように、政治や政府から「独立」すれば、官僚は自由になります。
議会根回しも業界対策も要らない。
だから部内には独立を望む声もありました。
ぼくはそれが危ないと考えたんです。
今もぼくは短絡的な独立論に反対です。

てなことで、郵政省は、自治省・総務庁の合併組織に割り込んで決着しました。
だけどぼくは政権に抗って運動したわけで、切腹です。
そりゃそうだろう。
なので辞表を提出するのですが、ぼくの上司は(6人ぐらいいたかな)誰も辞めないので役所は処置に困った。

仕方なくぼくは課長補佐の分際で郵政大臣に辞任の許しを請うこととなりました。
自見庄三郎郵政大臣は面白がってくれて、庄三郎という芋焼酎をくださいました。
すぐ飲み干しました。

再編後、菅義偉総務大臣が通信放送2局を3局に復活させ、今日に至ります。

総務省移行後、通信放送行政はよくやっていると思います。
ただ、そのキャパ以上にITの重要性は高まり、データ戦略も含め重要政策のトップに躍り出て、全行政に関わる横割りテーマとなりました。
IT政策に関する内閣官房・内閣府の出番が多くなっていることが証左です。

これを踏まえて、次の行政組織をどうするか。
五輪が済んだら、テーマ設定してよろしいんじゃないでしょうか。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2020年1月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。