近代教皇の中で最高峰の神学者といわれた前教皇、べネディクト16世がギニア出身の保守派代表ロバール・サラ枢機卿(典礼秘跡省長官)と共に独身制に関する本「Des profondeurs de nos coeurs」(仮題「私たちの心の底から」)を書いたが、出版前から大きな話題を呼んでいる。
具体的には、2013年に生前退位した前教皇は本の中で聖職者の独身制を擁護するだけではなく、独身制廃止に迎合する一部の高位聖職者の姿勢を厳しく咤していることが明らかになり、バチカン関係者はショックを受けている。独身制の廃止を考えるフランシスコ教皇への警告ではないか、といった憶測すら飛び出している。仏語の原本は15日、発表され、イタリア語版、英語版などがそれに続く予定という。
問題の発端は、昨年10月 ローマ・カトリック教会総本山、バチカンで開催されてきたアマゾン公会議で最終文書〈30頁〉が採択されたが、その中で「遠隔地やアマゾン地域のように聖職者不足で教会の儀式が実施できない教会では、司教たちが(相応しい)既婚男性の聖職叙階を認めることを提言する」と明記されていることにある。
同提言は聖職者の独身制廃止を目指すものではなく、聖職者不足を解消するための現実的な対策だが、聖職者の独身制廃止への一歩と受け取られている。欧米教会の改革派を鼓舞し、独身制廃止への要求が一層高まることは必至だ(欧米教会では家庭を持っている常任助祭が聖職を代理行使する場合があるが、アマゾン地域の教会では助祭制度が定着していない)。
べネディクト16世は本の中で、「神父の独身制の価値をおとしめる悪い嘆願や、芝居がかった悪魔のような虚言、時のはやりに押されて教会は揺さぶられている」と警告し、「私個人の立場から言えば、独身制は教会への神の贈物だ」と述べている。
同16世によると、「聖職と独身制は最初から神と人間の新しい結合であり、イエスがもたらしたものだ。西暦1000年頃のキリスト教会では既に聖職に従事するためには男性は独身を義務付けられていた」という。
独身制問題ではべネディクト16世の発言内容は現教皇フランシスコのそれとは明らかに違う。同16世の個人秘書であり、フランシスコ法王の秘書(法王公邸管理部室長)を務めるゲオルグ・ゲンスヴァイン大司教は14日、「前法王はサラ枢機卿と出版先に対し、自分の名前と写真を掲載しないように強く要請した。べネディクト16世は出版された新著のような形式(共著)で公開する考えはなかった」と説明、「誤解があった」と語っている(バチカン・ニュース)。
ちなみに、仏日刊紙フィガロとのインタビューでサラ枢機卿はアマゾン公会議の最終文書の内容について、「アマゾン地域の特殊性を利用して独身制をなし崩しにしようとしている」と批判したうえで、「聖職と独身制には聖礼典的繋がりがある。その繋がりを弱めようとする試みはパウロ6世(在位1963〜78年)、ヨハネ・パウロ2世(1978〜2005年)、べネディクト16世(2005〜13年2月)の教えに反する。フランシスコ教皇にはそのような試みから私たちを守るようにお願いしたい」と述べ、「既婚男性の聖職叙階は牧会上のカタストロフィーだ」と語っている。
独身制問題では高位聖職者で意見が分かれていることは周知の事実だ。バチカン法王庁のナンバー2、国務長官のピエトロ・パロリン枢機卿は、「聖職者の独身制について疑問を呈することはできるが、独身制の急激な変化は期待すべきではない。教会の教義は生き生きとしたオルガニズムだ。成長し、発展するものだ」と述べ、「教会の独身制は使徒時代の伝統だ」と指摘、独身制の早急な廃止論には釘を刺したことがある。
明確な点は、ローマ・カトリック教会の聖職者の独身制は教義(ドグマ)ではないことだ。「イエスがそうあったように」、イエスの弟子たちは結婚せずに聖職に励むことが教会の伝統と受け取られてきた。
キリスト教史を振り返ると、1651年のオスナブリュクの公会議の報告の中で、当時の多くの聖職者たちは特定の女性と内縁関係を結んでいたことが明らかになっている。カトリック教会の現行の独身制は1139年の第2ラテラン公会議に遡る。聖職者に子供が生まれれば、遺産相続問題が生じる。それを回避し、教会の財産を保護する経済的理由があったという。
南米出身のフランシスコ教皇は就任以来、独身制の見直しを機会ある度に示唆してきたが、バチカン内の保守派の抵抗もあって貫徹できずにきた。アマゾン公会議で採択された最終文書の扱いについては、フランシスコ教皇に一任されている。そのため、バチカン内の保守派は独身制を擁護する前教皇を動員してフランシスコ教皇に圧力を行使しているわけだ。
なお、生前退位を表明した当時、べネディクト16世はバチカン内のマーテル・エクレジエ修道院で静かに祈りの生活をすると述べてきたが、ここにきて外に向かって発言する機会が増えてきた。というより、92歳の高齢のべネディクト16世は保守派の改革派批判への武器として利用されている面がある。独身制を巡って、2人の教皇の意見の相違が改めて明らかになったことで、教会の保守派と改革派の対立が一層エスカレートする危険性が出てきた。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年1月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。