経済成長云々という話をすると議論百出です。今の成長率ではダメだの、少子高齢化で対応できないなど延々と同じ議論が続きます。ふと振り返ってみれば経済成長が減速したために日銀がゼロ金利政策を取り始めたのが1999年2月ですからすでに21年も経っています。その間、2012年12月から始まった景気拡大は最長を更新し続けていますが、何をもって景気拡大するのかと考えれば全然実感はないじゃないか、と人々は口にするでしょう。
金利を下げたって景気がよくならないと感じるのは多くの方に染み込んだ認識であります。一方、日本人がバブルのころのようなお祭り騒ぎを今再び、と思っているのかといえばそれもなさそうです。なぜなのでしょうか?今日はこのあたりを考えてみたいと思います。
バブルとは何であり、何をもたらしたか、様々な定義もあるし、書籍も相当出ています。様々な切り口があってよいと思いますが、一体験者として言うなら高度成長期の最後の宴であり、そこで日本人はすっかり変わってしまった、という気がします。近代の日本で日本がすっかり変わったのは明治維新と終戦とされますが、私はこのバブル崩壊も同じぐらいのインパクトがあったとみています。
1868年の明治維新から150年余りの間に3度も生まれ変われる日本人とは世界中を見てもまれなケースであると思います。なぜ変われるのでしょう。学術的には社会の階層システムが欧米ほど強靭ではなく、教会、領主と民という社会の不動の図式がなかったためとする見方はあります。
私はそれに付け足して日本の国土が自然との融合であったことを鑑み、人と人のつながりがより密接で、我慢強い性格であったことは否定できないと思います。この150年の間に関東、阪神淡路、東日本の大震災や数多くの台風などの天災を通した被害の大きさは想像を絶するものです。
戦争では原爆投下が注目されますが、米軍による大空襲で日本全国が焼け野原となり、すべてを失ったことは全体の被害状況という点では甚大な損害でありました。
しかし、日本人はどんな困苦があってもそれでも立ち上がり、立て直す強さを持っています。これは他国の国民レベルではまずできない話です。
日経ビジネスの「賢人の警鐘」の賢人リストにイアン・ブレマー氏が加わりました。氏の「世界は分断、力を発揮するのは日本」とする投稿の最後にこんな一節があります。「日本は文化的に成長より持続性を重んじる。一定の成長をしないと国民が不満を募らせる米国よりリセッションへの耐性がもともと高いのだ。その強さを生かすべきではないか」と。
アメリカがなぜこれだけ強く成長し、株価が上がり、世界を支配する企業が増大できるのか、それは国民性の違いがひとつ、あると思います。「捨てる文化」が根にあるのですが、この10年のアメリカは「お金を捨てる文化」に見えます。「捨てることで廻る」というのが彼らの考え方の一環でありますが、日本人の「もったいない」という思想とは相入れないかもしれません。欧州もモノを大事にする文化を持ちますから日欧は経済成長率が鈍化しているのでしょう。しかし、アメリカのやり方が正しくて日欧が間違いだったかといえば私はそうは思いません。
近年、様々な起業家たちが新しい事業を立ち上げ、急成長を遂げるという話を時々耳にします。ライザップにしろ、「いきなりステーキ」にしろ多くはそのペースが維持できない場合が多いようです。これは「出る杭」なのですが、日本という巨大集団が先行集団を飲み込みながら実は巨大集団そのものがゆっくりと変質化しているのです。この「ゆっくり」が経済成長率1%台であるといってもよいのですが、今後も若手のユニークな先行争いに心地よい刺激を受ける日本を見て取っています。
そして途中、どんな試練があっても乗り越えられるその忍耐力はイアン・ブレマー氏が言うようにその強さを維持することで、また来るであろう時代の変遷の中で器用に乗り越える日本に畏敬の念が生まれるのでしょう。その点からは経済成長は1%でも構わないけれど人々が助け合い、大きな集団がよりまとまり、若手が面白いアイディアを提供し、刺激を受けながら着実に前に進んでいく今の日本人の生き方は大いに正解ではないかと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年1月17日の記事より転載させていただきました。