暴かれた戦後秘史
戦後のある時期まで自民党はアメリカ、日本共産党と社会党はソ連から多額の資金援助を受けていたとよく指摘される。外国からの政治資金の受領はその内容の特殊性から議論は過熱し陰謀論的になりがちである。
そうした中で、『秘密資金の戦後政党史』は、そうした戦後政治の「秘史」ともいえる部分を公開されたアメリカ、ロシアの公文書、ジャーナリストの記事・著作を丁寧に調査、整理したものである。
本書によると、岸信介内閣時代に岸の弟で、後に内閣総理大臣となる佐藤栄作はアメリカに堂々と資金援助を要請したほどで、本書が訳した公電(マッカーサー大使から国務副次官補宛)では「共産主義と戦うために米国に財政支援をせびろうと願い出ている」(P66)と評されている。
また、国務省が公開した文書によるとアイゼンハワー政権時代に「日本の中立主義を強め、ひいては左翼政府に道を開くことを憂慮し、五八年五月の衆院選挙前に、CIAが少数の主要な親米・保守派政治家に一定の秘密資金援助や選挙アドバイスを与えることを許可した。」(P96)とし、アメリカ側が資金援助を行ったことを認めた内容となっている。
もっとも著者はこの国務省が公開した文書はCIAによる検閲を疑っている。確かに具体的な個人や組織の名前が出てこないのは不自然である。
いずれにしろ自民党が外国から資金援助を受けていたことはほぼ確実と思われるが、対する日本共産党と社会党はどうだったのだろうか。
日本共産党は1963年までに確認できる範囲内でもソ連から85万ドルの資金援助を受けていたとされ、これは「現在の貨幣価値では三十億円以上に匹敵すると思われる。」(P177)
日本共産党が「コミンテルンの日本支部」から出発したことを考えれば同党がソ連から資金援助を受けることはある意味、当然であり、それを非難することは「野暮」な感じがする。
興味深いのはソ連が日本共産党本部のみならず「親ソ」的な日本共産党員に個別に資金援助していたことである。こうしたソ連の姿勢が後年の日本共産党の「ソ連批判」に繋がったと思われる。
ソ連による対日政治資金援助で社会党に対するものは少し変わっており、直接、金銭を渡す方式ではなく社会党系商社の取引を優遇し、利益の一部を政治資金として社会党やその派閥に還流させる、いわゆる「友好商社方式」を採ったとされる。
1960年代から始まったソ連と日本共産党の対立もあり、友好商社方式を通じたソ連の社会党支援は活発化した。
しかし、社会党のソ連への資金依存は想像以上に強く(酷く)、ソ連側をうんざりさせたようである。社会党は自民党のように財界からの援助は当然、期待できないし日本共産党ほど組織が整備されているわけではない。
だからと言って現実的な社会民主主義路線を全面に打ち出し世論の支持を得て多数の党員を獲得しようとする勇気もなかった。社会党が長期間、観念的社会主義・空想的平和主義の世界に浸れたのはソ連の資金があったからに他ならない。
日本の政治家は「面の皮が厚い」
外国から政治資金を受領した政治家は「外国の代理人」になる恐れがあり、それゆえ強く非難される。
しかし、本書を読むと正直、「外国の代理人」との感想はあまりに出てこない。登場する政治家の発言・振る舞いを見ると「代理人」とか「従属」といった単純なものではなく、もちろんだからと言って「自主」「自立」といった「気高さ」もない。総じて感じるのは「面の皮が厚い」というやつだ。
我々はなんとなく日本の政治家が外国から政治資金を受領した瞬間から、自主性を喪失し外国の支配下に置かれると思いがちだが、事はそう単純ではない。
与野党とも資金援助の要請の根拠は雑駁に言えば「我々がいなくなると大変なことになる」というものであり、要するに相手の足元を見たものである。
「我々がいなくなると大変なことになる」のは間違いないが、資金援助を行った米ソはかなり「割に合わない」と感じていたのではないだろうか。
実際、同盟国たるアメリカは政治資金を通じて自民党政権を安定化させたが、「従属」どころか深刻な経済摩擦を引き起こすほど日本を「自立」させてしまったし、防衛負担には今なお強い不公平感を持っている。
ソ連も社会党を通じて国会審議の妨害、大衆運動こそ組織したが「日本革命」などとても引き起こせなかった。
もちろん米ソ両国は資金援助といった「飴」を与えることだけではなく軍隊・諜報員を通じた「鞭」を与える、要するに日本の政治家に物理的打撃を与えることもできた。日本には在日米軍があるし、CIAの諜報員も少なからず駐留していたと思われる。
しかし「自由民主主義世界の防衛」を名目に冷戦に参加したアメリカがこれらを通じて日本の政治家に物理的打撃を与えることはとてもできず、選択肢にも浮上しなかったと思われる。
アメリカと異なりソ連は敵対者に物理的打撃を与えることに躊躇しない国だが、島国たる日本に軍事的に侵攻することは容易ではないし、諜報員による小規模な攻撃は可能だったとしても、仮に日本の政治家を数人殺害しても単に反ソ世論を激化させるだけで終わる可能性が高いから、とても実行できなかったと思われる。
島国という地理的特性下、政治体制として自由民主主義を採用し、不十分ながらも軍事力(自衛隊)を整備し国内の統一が保持できる警察力があったからこそ米ソの対日工作は「飴」だけで終わったといえる。
「飴」だけではなく「鞭」にも警戒せよ
本書を読むと一口に外国の「対日工作」といっても「飴」だけに関心を寄せてもあまり意味がないことがわかる。「飴」だけではなく「鞭」にも関心を寄せてこそ対日工作が語れると言える。
この観点で言えば拉致事件に代表される北朝鮮の対日工作の評価も修正されるだろう。
2002年の日朝首脳会談で拉致事件が発覚するまで社民党(社会党)は拉致事件の存在自体を否定してきた。この拉致事件への姿勢を見ても北朝鮮の社民党への浸透ぶりは相当なものである。北朝鮮はソ連ほど知的権威はもちろん経済力もない。北朝鮮は社民党にソ連以上の「飴」与えることはできないはずである。
となるとやはり「鞭」に関心が行く。北朝鮮の「鞭」とは日本海を渡ってくる諜報員だろうか。それも間違いではないが、北朝鮮の「鞭」が日本国外からやってくるというのは一面に過ぎない。
北朝鮮の「鞭」は日本国内にもいるのではないか。例えば北朝鮮の出先機関たる朝鮮総連は万単位の構成員を抱えている。
もちろんその大部分は無害で善良な市民だろうが、筆者は「海の向こう」の軍隊や諜報員より日本国内にいる万単位の構成員を抱える組織のほうがはるかに存在感があると思う。
たとえ合法活動であっても多数の人間が政治家個人に抗議すれば、それは政治家にとって大変な圧力に違いない。差別の意図はもちろんないが対日工作を考えるうえ在日外国人の組織的政治活動は無視できない。誤解がないよう強調するが筆者の関心はあくまで組織的政治活動であり、個人の政治活動ではない。
在日外国人は増加の一途であり、それは避けられないことだが、在日外国人を悪用する国の存在も否定できない。
だからこそ今、対日工作対策の一環として在日外国人の組織的政治活動について新法制定も含めた国民的議論が求められていると言えるのではないか。
高山 貴男(たかやま たかお)地方公務員