世界経済のグローバリゼーションが行きつくところはどこなのでしょうか?物品、人、マネーが国境を超え、自由に動くのは理想的に聞こえますが、実際には津波のように押し寄せるといった能力を超える過激なケースも多々あり、そのスピードに耐え切れなくなり様々な弊害が出てきたのは皆さまご承知のとおりであります。
グローバリゼーションの功罪を考える時、外国からの影響力がどれだけあり、それを吸収するのにどれぐらい時間がかかるのかを一つの検証材料として考えるのも面白いアプローチだと思います。
日本が開国を迫られた江戸末期。これについては様々な見解があります。二百数十年の長きに渡り鎖国することによるメリットデメリットであります。社会が安定したことで文化が非常に発展した半面、世界で起きていた数々の進化とは完全に隔離されたガラパゴスがそこに生じていたともいえます。
開国した際に日本は不平等条約を締結します。その一つが関税でありました。一律5%という数字は締結した時「そんなものか」と不審に思わなかったのですが、何年か経つとそれがとんでもない取引だったことに気がつき、地団駄を踏みます。世界で起きていることに全く無頓着だった無知さに対して欧米諸国は上から目線と連係プレイで日本を騙し続けたともいえます。
その後、明治に入り、日本政府は数多くの政府高官や優秀な人材を国費で海外に行かせ、勉強をさせ、鎖国時代の遅れを取り戻す努力をします。長州出身の伊藤博文もその一人でありましたが、下関戦争で英仏欄米の列強4カ国と無謀にも戦ったことを欧州に行った際、その力の差を間近で見て、バカな戦いをしたものだ、と実感するのです。
そして上述の不平等条約である5%関税が撤廃され、関税自主権を取り戻したのは調印から45年たった1911年で日露戦争での勝利が影響しているのは言うまでもありません。
このストーリーは一つの国が外国から影響を受け、それをしっかり受け止め、自国が十分に育成するまでに極めて長い時間がかかるという例であります。もちろん、これは極端な例であります。
例えば中国は外国の技術を突如、取り込み始め、物質的に急速に恵まれ、すでに進化した工業化、テクノロジーの波に飲み込まれ、世界最先端の技術を国内に導入する土壌が生まれたよい例でありました。
通常の世界では工業化にしろ技術革新にしろ長い年月を経て階段を一歩ずつ上る感じでそれをゆっくり取り込みますが、中国の場合、物質文化だけがエレベーターで一気に最上階に上がるような仕組みとなったわけです。ところが人や教育、社会制度はそれについていけず様々なひずみが生まれます。これは日本が開国をした時と同様の苦しみでありましょう。
グローバリゼーションとは先進国による一種の覇権主義であります。(悪く言うなら現代版植民地主義なのかもしれません。)資本のチカラで会社を牛耳り、人を支配し、モノを生み出します。それは聞こえはよいものの本当にそれでよかったのか、ふと振り返ることが出てくることもあるでしょう。
難民問題は世界各地に起きています。シリア、ロヒンギャ、ベネズエラなど世界各地でそのひずみが起きつつあります。
我々はグローバリゼーションを急ぎ過ぎたのかもしれません。先進国の文明を新興国やまだ未開の国家にそれを当てはめるのは日本の開国の際の衝撃と同じであり、国家がそれを受け入れた瞬間、怒涛のマネーが発展途上の国家を埋め尽くすとき、果たしてそれがその国家にとって正しい選択肢だったのかと振り返るのは何年も経ってからでしょう。
資本家が目指す投資効率は多くの国を幸せにしたかもしれませんが、ひずみも生んでいることにも着目した方がよいかもしれません。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年2月3日の記事より転載させていただきました。