駆け抜ける時代:今日の常識は明日の非常識

私の半生を振り返ってみると日本の高度成長期と東京オリンピック、石油ショックとトイレットペーパー争奪戦、バブルに踊った日々、崩壊する砂上の楼閣、軽薄短小と若者の価値観の変化、ウィンドウズ95、堀江貴文氏とインターネットバブル、小泉元首相にぶっ飛ばされた政治と非正規雇用、いくつかの巨大地震、リーマンショック、SARSと新型肺炎…とあまりにも多くのことが身の回りで起きました。

私は歴史書を時々手にしますが、近代の日本の歴史において日本人が変わるきっかけは3度あったと思っています。明治維新、終戦、そしてバブル崩壊です。

鹿鳴館の舞踏会を描いた『貴顕舞踏の略図』(Wikipedia)

明治維新の頃の書を手にすると様々な人が変わりゆく時代に抵抗する者や変化をかぎ取る者が入り乱れ、利益を得ようとする者と日本のことを真剣に考え憂う者と対立したりしていました。明治維新は学校で習ったように突然やってきますが、日本が突然変わったわけではありません。2-30年はゆうにかかったと思います。

最終ゴールは日露戦争だと思っています。私がなぜ明治維新が日本の歴史転換になったかといえば日本中の藩と大名が廃藩置県を素直に受け入れた点だったと思います。

同じことは終戦の時の天皇陛下の玉音放送で日本人は180度変わります。明治維新の時と終戦後の日本人の変化については外国人の目から見た書の方が鋭く指摘されており、案外、客観的な指摘がなされていると思います。私はバブル崩壊も日本人のメンタルがすっかり変わった近代日本史における三大変化だと考えています。

それはそれまでの常識をすべて覆すものでした。年功序列はなくなり、雇用は終身雇用から大きく変化、日本人の数は減り始め、人権がとても強調される時代になりました。コンピューターやテクノロジーの進化が効率化を求め人々は短期的視野にとらわれやすくなりました。

1997年、破綻した山一證券の記者会見で号泣した野澤正平社長(当時)=NHKアーカイブスより:編集部

私はバブル崩壊前のこてこての日本人社会と崩壊後のあがき、落としどころを必死に模索する日本を見るチャンスがあり、実にラッキーであったと思っています。当然ながらこれをお読みの多くの皆様も同様だと思います。大きな変化の中にもまれている、だから今日の常識は明日の非常識となることも受け入れなくてはいけないのです。

明治神宮は今年鎮座100年ということもあり、参道に非常に興味深い躍動する明治時代を数々の大きなパネルで展示しています。その中に「坂の上の雲」という大きなキャッチフレーズがあるのです。これが私の足を止め、そして深く考えさせられたのです。同名の司馬遼太郎の小説を飛び越えてそのキャッチが我々の向かうべき方向を見事に表現していると思うのです。

ならば我々は今、どこなのか、ちゃんと雲の上を目指しているのか、それとも1990年から30年たったのにいまだに雲の中でもがいているのか、我々はどこに向かうのでしょうか?

ふと感じるのは中高年と若者のギャップでしょうか?古い時代に生きた人間、両方にまたがっている私のような人間、そして90年代以降に社会に飛び出した昔を知らない世代が混在する日本は明治が30年ぐらい落ち着かなかったのと同様、必死で行くべき方向を探しているように感じます。

我々は若者の時代にバトンタッチをすべきなのでしょう。彼らがどう国づくりをするのか、彼らの知性と感性を知ってみたいものであります。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年3月1日の記事より転載させていただきました。