ぜひ、私の本に限らず、本屋さんで本を買ってゆっっくり読めば、家に籠もる時間も無駄にならないと思うのでこの際に読書をお勧めしたい。
ところで、私の新著は世界史と日本史の100のテーマを選んで、定説に疑問を投げかけたモノだが、アゴラでも10ずつ何が書いてるかさわりを紹介して見ようと思う。
まず、今回は古代史編である。
①神武東征は『記紀』には書かれていない
『日本書紀』や『古事記』には、皇室の先祖は神武天皇が2700年ほど前に日向から大和に東征をして兼行したと建国したと書かれている。これに対して戦後史観では、これは嘘だと切り捨てている。そこでまったく嘘でないという人は何らかの形で九州王朝の東遷があったのだといって想像を巡らす。しかし、そんな議論は無意味である。神武天皇の東征など『記紀』に書いてないのである。それでは『記紀』にはどう書いてるのか。
②『日本書紀』の皇統系図は史実である
神武天皇が2680年前に即位したというのは事実であり得ない。そこで、これは神話であると言うのが定説だが、私は歴代天皇の長すぎる寿命を適切に調整しただけで、系図も事績もなにも嘘はないということを解明し実年代を割り出している。
③倭王武の上奏文は『魏志倭人伝』より重要だ
倭の五王の中国への使節派遣は、中国の史書に詳細に記載されているのに、保守派からも戦後史観派からもほとんど無視されている。しかし、倭王武の上奏文は『魏志倭人伝』よりはるかに重要な文書で、日本の朝鮮半島支配を完璧に立証している。しかし、なぜ百田尚樹氏のような保守派までこれを嫌うのか?その馬鹿馬鹿しい裏事情を明らかにする。
④卑弥呼は日本の女王ではない
戦後史観の定説では、卑弥呼はアマテラスや神武天皇より重要らしい。保守派の多くは『記紀』の登場人物に卑弥呼を当てはめたがる。しかし、邪馬台国とか卑弥呼なんか古代人の記憶にすらなかったどうでもいい存在だ。それでは、なぜ卑弥呼は忘れられたのか?コロンブスの卵みたいなものだ。
⑤応神・継体は新王朝ではあり得ない
『日本国紀』は応神天皇は熊襲なのではとか、継体天皇は十中八九新王朝だとかいってるが、この点に関しては、むしろ戦後史観の歴史学者のほうが『日本国紀』の作者ほど安直に新王朝というのに否定的だ。新王朝だというには、明らかにおかしいことがいろいろあるからだ。新王朝説がいかに荒唐無稽か明らかに。
⑥弥生人や稲作の故郷は朝鮮半島ではない
弥生人とは誰かといえば、戦後史観の人は韓国人だといいたがり、保守派は縄文人が稲作を学んだのだという。しかし、どちらもありえない。それでは日本人の祖先は何者か。
⑦日本人と日本語の先祖は?
定説は日本語は朝鮮語から分かれたとかいいたがる。保守派は苦し紛れに新羅人は縄文人だとかいったりする。しかし、いずれも、言語の発生についての世界的な常識を無視している。
⑧天皇はテンノウではなくスメラギだった
定説はもともと王といっていたのを『記紀』の作者が天皇と言い換えたのだという。だが、まったくナンセンスだ。日本人がテンノウという呼び名を使うようになったのは明治になってからのことだ。
⑨聖徳太子は実在しないのか
戦後史観の定説では、聖徳太子は存在しないか、蘇我馬子の功績を否定するために聖徳太子に功績を移したのだというが、まったくありえない。天武天皇にとって聖徳太子はこれ以上ない仇敵だったのを忘れている。
⑩平城京・平安京へ遷都された理由
仏教の影響を排除するためと言われてきたが、道鏡事件でも仏教界全体がそれを推したのではないからありえない。水運の便という人もいて、これは一面の真理だが、それだけではない。もっと根本的な問題があった。
というような調子で議論している。しかし、本当に残念なのは、日本史の世界というのが、世界史で普通に起きていることを参考にしないことだ。世界史を知ったら絶対にあり得ないことを言ったり、普通に起きることを荒唐無稽だとか決めつける。やはり歴史の学会も科目も一本化すべきだ。