3.11のこと、コロナのこと

常見 陽平

不思議な日々をおくっている。もともと、大学は春休み期間なのだが。もう曜日どころか、時間の感覚すらない。毎日、5時には起きて仕事と家事を始め、保育園に娘をおくり、大学の研究室に行き、娘を迎えに行き家事をし、寝るという日々。時間はたっぷりあるが、仕事ははかどらない。何かこう気持ちが落ちてきたりもする。以前は毎日、書いていたブログも書いたり、書かなかったりだ。

そんな中、今年も3.11がやってきた。あの頃、私は会社員をしながら著者活動をしていた。赤坂での原稿の打ち合わせ中に被災。新橋まで歩き、妻と合流。ヤマダ電機では高画質テレビに悲惨な状況が。居酒屋で食事をし銀座線が動いたので浅草まで行き、50分歩いて帰宅。ギュッと抱擁。人生を変えようと翌年会社をやめフリーランスになり。大学院にも通い始めた。

震災は物理的な震源地や被災地が明確だ。コロナとその影響は世界に広がっている。もちろん、国や地域により被害の差はあるし、それもまた対応の考え方によっても異なるのだが。

ただ共通点は「日常が明らかになった」ことだと私は考える。同じ春にコロナなわけだが。震災もコロナも、「何かを変えてしまった」というテンプレがあるし、それも否定はしない。いや、コロナは確実に今までの社会とは何だったのかを問いかけているように感じる。グローバル化を否定するつもりもないが、それによる影響はコロナ被害においても、経済的なダメージにおいても明らかだ。AIの利活用もいま取り組むべきこととしてあげられているが、AIが合理的に判断し、市場が荒れている(AIが悪いわけではない、これも)。

震災もコロナも「日常」を明らかにしたのではないか。あの頃、雇用支援ボランティアで東北に通ったが、目の前にいたのは「ずっと困っていた人」だった。今回もコロナで非正規雇用、フリーランスが悲鳴、子育てとの両立が大変だと報道されているが、状況、程度の差はあれ、コロナ以前と変わらず、弱い立場にあったということを認識しておきたい。

今年の3.11は江古田映画祭で、わたなべりんたろう監督による『3.11 日常』を鑑賞。猛反省。

「あの日を忘れない」などというテンプレがある。ただ、忘れていないか。少なくとも、私は忘れていたこと、しかも、知らなかったことまであり。研究者人生をかけて、原発批判をし、京大で助教のまま定年を迎えた小出裕章先生の言葉に胸を打たれた。もちろん、彼の主張には科学的にも、政治的にも賛否はある。ただ、少なくとも、新たな視点を得ることができた。

さて。やや不謹慎かもしれないが。コロナ騒動の解決を祈っているのだが・・・。

震災の後、新しい才能が世に出た。若手論壇ブームなるものがあったのもその頃だ。私も末席、いや補助席ではあるが、その流れで人前に出る機会が増えた。あの頃ブレークした人に比べて売れていないや私と思いつつも、なんとか残っている。津田大介氏のように芸術監督、早稲田大学教授、朝日の論壇委員にはなれなかったし、古市憲寿氏はお茶の間の人気者になった。でも、私も彼らほど売れてはいないけれど、なんとか残っている。

なんせ、コロナの収束を祈っている。嘘と差別と暴力がない社会を望んでいる。ただ、ポジティブな変化にも期待している。

合掌。


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2020年3月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。