取締役を降りたビル・ゲイツ氏に思うこと

岡本 裕明

マイクロソフトの創業者の一人であるビル・ゲイツ氏が同社の取締役から降りることになりました。マイクロソフト=ビル・ゲイツというイメージがあると思います。私はITとは程遠い業界ですが、それでも思い出はあるものです。

(GatesNotesから:編集部)

GatesNotesから:編集部)

90年代後半にシアトルで日本食レストランの経営に携わっていたことがあります。同地では当時、最も有名なジャパレスだったと思います。そこにゲイツ氏が仲間を連れ添ってふらっとランチに来られたことがあり、照り焼きチキン定食を食べたのが非常に印象的でありました。「へぇー、あのゲイツ氏が10ドルぐらいのランチを食べるんだ」って。

今、聞けばゲイツ氏は非常に実質的な方で飛行機の席はエコノミーでマックのようなファーストフードがお好きとのことですが、当時我々にはなかなか理解できない発想でありました。日本人はお金持ちになると行動規範が変わり、今までラーメンをすすっていたのに「こんな店来れるか」ぐらいに豹変する方がいるのとは大違いであります。私はゲイツ氏やバフェット氏のような成功者のお金の感覚についてずいぶん学ばせてもらったと思います。

私は当時、ワシントン州の郊外にあるゴルフ場の運営も任されていましたが、非常に苦労し、2年後ぐらいに売却させてもらいました。それを買ってくださったのがかつてマイクロソフトにいらっしゃった日系の名士の方でした。ワシントン州は誰でも知っている著名企業が実にたくさんありますが、私にとってマイクロソフト社はそういう世代でもあるせいか、特別の感情を持っています。

ゲイツ氏は社長をスティーブ・バルマー氏に譲りましたが、バルマー氏のマイクロソフトは正直、良くなかったと思います。売り上げや利益が上がったかもしれませんが、バルマー氏が作り上げたものではなく、ゲイツ氏の意思を継いだもので時代の流れと共に本来向かうべき方向から少しずつ離反していくような感じがあったというのが第三者的印象でしょうか?アップルやグーグルが勃興してきたときであり、方向性を失っていたような気がします。

その後、社長はサティア・ナデラ氏に変わります。多分、彼がマイクロソフトを一変させたと思います。ゲイツ氏の作った会社をどんな批判があったとしてもそれをものともせず、あるべき姿にもっていく、そしてバルマー氏の時代に離反しかけていたITの本家本元が戻ってきたという感じだと思います。その点でゲイツ氏は大人だったと思います。自分ではなし得なかった時代の変化を嗅ぎ取り、経営の舵を切る能力をナデラ氏に託したという度量は私には大いなる刺激でありました。

世の中にビジネスのノーベル賞があるならばゲイツ氏は当然受賞すべき方であります。それは64歳という年齢の中で自分の持てる能力や才能を社会に還元するという姿勢を生涯貫き通しているからであります。ゲイツ氏はコロナに関しても1億ドル(約108億円)の寄付をすることを表明しています。

もともと同氏は財団を持ち、そこを通じて社会還元の道を作っています。氏は誰でもご存知の通り、世界で1、2を争う富豪であります。しかし、そのお金は当然、自分で使いきれるものではありません。その上、富豪でもエコノミーの席に乗り、どうやったら社会がより豊かになるのだろうと考え続ける姿勢ほど刺激的な生き方はありません。

私も飛行機はエコノミーしか乗りませんが、航空会社の支店長や知り合いのCAあたりからは「なぜ?」と言われます。そもそも興味がないのですが、ゲイツ氏が「どこに座ってもつく時間は同じ」という発想にいたく同意してしまうのです。「どこに泊まっても朝は来る」と思えば巨大なスイートルームを使う発想もなくなります。清貧とはまた違う実利で合理主義であり、私の好きなアメリカ人をゲイツ氏に感じてしまうのです。

私が若い時から「アメリカかぶれ」だったとすればきっとこのような刺激的なアメリカ人に強く影響を受けたことを踏まえての今なのだろうと思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年3月16日の記事より転載させていただきました。