戦後の中国史の定説がいかに嘘の塊か暴く

八幡 和郎

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日本人の対中観は、「日いずる所の天子….」という小野妹子のお話を出発点とする対等皇国史観と、戦後の冊封体制論という日本以外では誰も見向きもしない媚中史観の両極端のもとでいずれも現実離れしていて役に立たない。

真実の歴史は『中国と日本がわかる 最強の中国史』(扶桑社新書)でも明らかにしたが、『歴史の定説100の嘘と誤解:世界と日本の常識に挑む』(扶桑社新書)でもエッセンスを書いた。これはそのまたエッセンスである。

現代中国で孔子は悪者・曹操や則天武后は善玉

中国史で三国志の敵役である曹操や自分の息子を退位させて女帝になった則天武后は悪玉であった。しかし、それは昔の話で、現代中国では偉人扱いだ。彼らが悪玉にされたのは、儒者に嫌われたからだが、それを逆に毛沢東が気に入ったのだ。それでは孔子はどうか。毛沢東は孔子を反革命分子として批判したが現在は是々非々になっている。

孔子(Wikipedia)

中国はチベット・ウイグルを侵略したといえるか

中国は固有の領土だと言うし、日本の保守派は侵略だという。しかし、両方、おかしいのだ。この問題は、清朝や現代中国の成り立ちの経緯と国際法上の問題として緻密に論じないと中国政府の言い分を打ち負かせない。

中華人民共和国の国名は日本語からの外来語

日本人は日本語はたくさんの中国から輸入した外来語としての漢語で成り立っていると思っている。しかし、実際には、近代中国語では、単語は日本語からの外来語が多く文法すらも強い影響を受けているのである。

日本の皇室は始皇帝のDNAを引き継いでいる

中国人にこの話をすると、非常に喜んで皇室を尊びたくなるようだ。これはいい加減な話ではない。それは、昭和天皇の香淳皇后の母親が島津家の出身で、その島津家は秦氏の末であり、秦氏は始皇帝の子孫と称しているからだ。

香淳皇后(Wikipedia)

中国南朝の六朝文化が日本文化のルーツだ

日本文化というと、縄文文化、弥生文化、そして唐の文化が融合してできあがったと思っている人が多いが、文字や仏教など古墳時代から飛鳥時代までの文化は百済経由で南京を都とする南朝がルーツだ。呉服は文字通り江南の地の衣装だ。

大唐帝国が史上最高の王朝と言われたわけ

日本は唐に戦争で負けて屈服した。ところが、なぜか、唐に対するイメージは悪くない。どうしてなのかの理由を探る。

チベットのダライラマと中国の皇帝は対等

チベットのダライラマとは何者なのか。単なる宗教指導者なのか、国家元首なのか?その漢民族、蒙古、満洲、ウイグル、チベットのややこしい関係を解き明かすが、中世ヨーロッパと比較すると理解の鍵が得られる。

海上帝国へ発展できなかった明の大艦隊遠征

永楽帝はアフリカにまで艦隊を派遣したが長続きしなかった。どうして中国はチャンスをものにできなかったのか。一帯一路にも通じる問題の歴史を探ると中華帝国の本質が浮かび上がってくる。

江戸幕府よりは先進的だった清朝

まったく無能で腐敗していたと言われる清だが、それは明治政府と比べたときの話だ。江戸幕府と清王朝を比べると、いかに清朝の方が進歩的で経済発展にも尽くしたか、文化的な水準も高かったかが分かる。そして、光緒帝は伊藤博文を顧問に迎えようとしたが西太后に阻まれた。

光緒帝(Wikipedia)

日本との関係は古代から韓国との関係とは違うと清国も認めて国交樹立

日本は古代から韓国と違って中国の従属国家ではない。それは、明治はじめの国交樹立の際に清国も認めたことなのだ。その功績者のひとりの副島種臣の交渉とは。