勤務先の大学、千葉商科大学の卒業式だった。少しでも自分も、周りも明るくしようと、朝9時から美容室に行き、メッシュを入れ、シルバーのヘアカラーを入れ。余裕をもって大学に向かおうとすると、妻が仕事でスクランブル状態になり。いったん帰宅し、娘を預かり、大学に連れて行くの巻。これもまた、共働き家庭の、グローバル時代、そしてリモートワーク時代の現実である。
厳密には、卒業式は中止だった。本学は「学位授与式」と呼ぶのだが…。ここにまとまっているように・・・。
- 安全配慮と感染拡大防止のため、「式典」としての「学位記授与式」は中止。
- 学位記を交付する会を開催。
- 学部に分かれて、決められた時間に指定された教室で交付。
- 保護者、関係者、卒業生以外の在校生の入構は禁止。
- 発熱のある人、体調の悪い人、入国制限されている国・地域から帰国(入国)した人で、帰国(入国)後2週間以内の人には参加を遠慮してもらう。
- 大勢の人がキャンパス内に滞留することを避けるため、原則、各開始時間の30分前に正門を開門し、各終了時間の30分後に正門を閉門。それ以外の時間帯は構内に立ち入ることはできない。
- 全員マスク着用。建物入口にて、手、指先のアルコール消毒を実施。アレルギーのためアルコール消毒を行えない人は、流水による石鹸での手洗いを行う。
- 交付場所は窓を開けるなど換気。
- 当日は写真撮影用に特別なスポット等は設置しない。
- 学長、理事長の式辞は、当日に学内のディスプレイ、およびYou Tubeで配信。
という、厳重な体制のもとで行われた。中止となる大学も多い中(ウチも式典としては中止だからね)、かなりの対策を重ねての実施だった。
本学に限らず、いま、大学では、入構自粛、課外活動中止、大人数での会合自粛などが学生に要請されており。これらの要請をまとめると、いわゆる「追いコン」もできない。卒業旅行も、ここまでコロナ騒動が拡大する前から、自粛する学生が目立った。
普通の卒業シーズンらしいことができず、本当に申し訳ないと思ったりもする。ただ、もし私が責任者だったとしても中止か、規模縮小の決断をしたと思うし。参加する学生や保護者、さらには教職員の安全も意識しなくてはならない。参加しない権利というものもあり。参加しない人が後ろめたくなってもいけない。まさに、苦渋の決断であり、複雑な心境だ。
いや、自分が生徒・学生だった時代は、卒業式にはどちらかというとさめており。尾崎豊の「卒業」ではないが、「この支配からの卒業」だとは思ったものの、「夜の校舎 窓ガラス 壊してまわった」というほどの気力、体力、勇気もなく。ただ、4年間の締めくくりではあり。これも、単にお祭りではなく、教育の締めでもあり。
まさに異例なことだらけだ。ただ、この異例だらけのことについて、「学生たち」が「これはこれで思い出に残った」というのはわかるけど、大人たちがそういうのはエゴでしかない。卒業式、いや卒業シーズンがなかったこと、少なくとも普通ではなかったことについては、かわいそうでしょうがない。
私が所属している学部は1学年の定員75名の小さな学部だ。当日は、全員が参加したわけではなかった。学生からは「家族で相談した結果、参加しないという決断をしました」というメッセージをもらったりもした。感謝の言葉も綴られており。ぐっときた。
もっとも、このような形で、実に短時間ではあったが、学生の顔を見ることができ、私もほっとした。式典らしいものができないので、4年間の歩みをまとめたビデオをつくってプレゼントしたりもした。
学生に声をかける機会があったので、私はこう言った。
「楽しむことを、サボるな」
と。
自分の座右の銘でもある。
世の中、自粛モードだけど、どうか、若者らしさだけは自粛しないで。もちろん、このような若者らしさを押し付けるのもエゴだけど。そして、卒業式は自由な人生の葬式ではないから、上は向いて歩かなくていいから、前を向いて走ってね。こんな時代の普通にならないでね。
人事をしていた頃、内定と入社については「おめでとう」と言わないことがポリシーだった。でも、卒業に対しては言わせてもらおう。おめでとう。
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2020年3月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。