『女性自身』2020年3月24・31日合併号のトップ記事は、『独占証言:雅子さま 15年秘める祖父の夢 愛子を天皇に』というものであった。記事は安倍内閣が女性天皇問題を封殺していると批判し、「愛子さまを天皇に」は、雅子さま最愛のご家族の願いでもあったはずだ」とリードがついている。
記事によると、雅子さまの祖父で、水俣病で知られるチッソ元社長の江頭豊・寿々子夫妻を知る人物が語るところによれば、「あるとき豊さんが『愛子さまが天皇になる夢を見たんだよ』と、とてもうれしそうに話していたことがありました」「雅子さまも、お祖父さまの夢のことはご存じだと思います。豊さんは、愛子さまの聡明さがもっと世間に伝わってほしいという気持ちも抱いていたようです」というのだ。
もしそういうことなら、江頭氏が亡くなったのは2006年9月24日だから、悠仁さまがお生まれになって愛子様が皇位を継承される可能性が小さくなったのは、直前の2006年9月6日のことだったので、落胆されて亡くなったのかもしれない。
江頭氏は、元日本興銀行専務で、1964年に新日本窒素肥料(チッソ)取締役社長となり、1971年に会長に就任。1973年に会長を退任し相談役に就任していた。
水俣病が有機水銀が原因であることは1959年に熊本大学水俣病研究班が発表したが、チッソが公式見解として、メチル水銀化合物 と断定し排水も止めたのは、1968年である。
たしかに、チッソが有害な排水を流したのは、主として江頭氏の社長就任以前であり、だからこそ、宮内庁参与をつとめていた団藤重光元東京大学法学部教授は、刑事訴追される立場にないことを理由にご成婚に問題なしとしたのだが、被害者救済の遅れや不十分さの責任は第一次的に江頭氏にあることは疑う余地がない。
そうしたこともあって、江頭氏が死去したときに、当時の皇太子殿下夫妻が弔問に訪れたり、陛下から供花があったことは、オランダで王妃の父親がアルゼンチンの独裁政権の閣僚であったことを理由に結婚式や戴冠式への参列を拒否されたことなどと比較して疑問の声もあった。
小室家との問題でも当てはまると思うが、誰の子どもだから、子孫だからダメとはいわないが、社会的に問題のある人物との距離は慎重にはかるべきだと思う。
いずれにせよ、「愛子さまを天皇とすることが、チッソ社長の夢を正夢にすることだから邪魔するな」という言説をトップ記事にするとは、能天気にもほどがあるというものではなかろうか。
ついでに、記事では、盛岡タイムスの元記者で江頭夫人の壽々子さんの父親である山屋他人元海軍大将の伝記を書いた藤井茂氏の話として「雅子さまは以前、尊敬する人として祖父母を挙げていたこともあったそうです」と言わずもがなな話までついている。
ジャーナリストとして、疑問が心をよぎることはなかったのだろうか。まさか褒め殺しで皇室を貶めようというわけではあるまいが。