昭恵夫人の「私的花を見る会」は、残念な事件だったが、それに対応した安倍首相も、非常に残念だった。「東京都が自粛を要請している公園での花見の宴会ではない」と釈明したうえで、「レストランに行ってはいけないのか」と反論したという。
この首相は、自分が国民に「お願い」していることの内容を、理解していないのだ。そう思うと、本当に悲しくなる。
日本人は、今、「密閉・密集・密接の回避」を中心としたコロナ対策を求められている。首相がそう説明しているはずだ。「東京都が自粛を要請している公園」であるかどうか、「レストランに行ってはいけない」のかどうかは、二次的な問題だ。
今、国民一人一人が、ある行為が「密閉・密集・密接の回避」に該当するかどうかを、自分でよく考えたうえで、責任ある判断をすることを求められている。求めているのは、首相だ。ところがその首相が、ある行為が「密閉・密集・密接の回避」にあたるかどうかを考える発想方法を放棄している。そのような態度を、国会中継を通じて大々的に宣伝している。悲しい。
もっとも立憲民主党の杉尾秀哉氏が「予算委で大きい声を出しちゃいけない決まりはない」と指摘したとき、「大きな声で唾が出るようなことは避けなければいけないと言われている。お互いに気を付ける必要がある」と首相が述べたのは良かった。
日本の国会議員や東京都知事の会見は、いつも「密閉・密集・密接」の状態で行われる。ところが政治家の先生方だけは、和牛商品券や内閣支持率の低下だけにとらわれて、自分が言っていることを自分で破ってみせるという行為を繰り返している。
政治家の先生方は、自分たちにはウイルスも遠慮すると信じているのか、あるいは自分たちがウイルスで倒れたら国民は勇敢だったと拍手喝采すると信じてるのか。
そんなことだから、テレビでも「密閉・密集・密接」空間の中で「若者は外出するな!」と大声で説教する老人であふれてしまうのではないか。
クオモNY州知事が、コロナ対策で人気をあげている。そのクオモNY州知事の会見の様子を見てほしい。まずは席の配置だ。これがコロナ危機下で国民に政治家が見せなければならない「密閉・密集・密接の回避」のビジュアル模範だ。余裕があったら、クオモ州知事の話し方にも気を付けてほしい。危機管理リーダーの模範とされている要素がつまっている。
クオモ州知事が政治家の責任を語るところなどが注目されているが、私が一番強調したいのは、クオモ州知事が、繰り返し繰り返し、努力する米国市民に感謝をし、いかに一般の市民の活躍が素晴らしく、国家に貢献しているかを強調しているところだ。
クオモは今年の大統領選挙には出馬しなかったが、民主党は、4年後の大統領選挙に強力な候補を獲得した。アメリカは、今回の危機で沈没しそうだが、長期的には復活してくるだろう。
日本の政治家は、恵まれている。日本の感染者数が少ないのは、医療関係者の努力に加えて、一般市民の努力も大きいと言われている。しかし日本の政治家がそういう国民の努力を称賛することもなく、感謝することもなく、模範を示すどころか自分の言葉と食い違う行動を見せ、和牛商品券を配布することがコロナ危機対策だと信じ込むだけで、指導者気取りになっているのだ。
果たして日本は、この状態で、本当にやっていけるのだろうか。
政治家はもっと謙虚になり、国民が見たいものを見せることを心掛けてほしい。そして努力する人を称賛し、感謝をする、という人としての基本の大切さを考え直してほしい。危機の時代だからこそ、まず政治家が率先して国民に見せなければいけない態度を何なのかを、考え直してほしい。