バチカンのサンピエトロ広場は雨が降っていた。広場には信者たちの姿はなかった。広場の中央に設置された祭壇が薄い闇の中に浮かび上がった。フランシスコ教皇は儀典長グイド・マリー二神父の助けを受け、祭壇に上がり、祈った。2020年3月27日午後6時(現地時間)、世界の信者たちと一緒に新型コロナウイルスの終息を祈った。
当方はドイツ公営放送(ZDF)のライブ中継を追った。広場の祭壇では教皇の第一声が涙声になったのを感じた。広場には信者たちはいない。27日はイタリアで969人が新型コロナで死去した。死者数では最も多い日だった。ペテロの後継者、83歳の教皇の心に中には新型コロナの犠牲者とその家族のことがあったのだろうか。それとも信者がいない広場の異様な雰囲気に圧倒され、思わず涙が出てきたのだろうか。新型コロナに襲われた羊たち(信者たち)はどこへ行ったのか、彼らは大丈夫だろうか。羊飼い(教皇)は祈った。
フランシスコ教皇はその祈りの中で、パンデミックに直面する人類に向かって、隣人愛と人生で何を最も優先すべきかことかを理解するように求めた。そして新型コロナの襲撃は、「神の審判」の時ではなく、「私たちの審判」の時であると強調した。
教皇は、「人生のコースを神と隣人に向ける時だ」と静かに語りかけた。そして、「多くの人々は物質的なことに価値を置き、自己の欲望の充足を求めてきた」と指摘し、新約聖書「マルコによる福音書」第4章35節から41節の聖句を引用する。
「主よ(イエス)、目を覚ましてください、海は荒れ、船が沈みそうです」と叫ぶイエスの弟子たちに対し、イエスは「なぜ、そんなに怖がるのか。どうして信仰がないのか」と諭したという内容だ。
「お前たちは信仰を失ったのか」というイエスの問いかけを繰り返しながら、必死に祈る教皇の姿はこれまで見た教皇の中でも最も印象的だった。フランシスコ教皇は世界で3万人以上の犠牲者を出し、60万人以上の感染者を出している新型コロナに対し、神に「終息してください」と祈ったのか。それとも、あの貧者の修道女、マザー・テレサのように、「なぜあなたは苦しむ子供たちを救わないのか」と辛く、重い問いかけをしたのだろうか。
教皇は聖母子画「サルス・ポプリ・ロマーニ(ローマ人の救い)」と聖マルチェロ教会から運び込まれた、ローマを大ペストから守った「キリストの磔刑像」の前で祈った。そして大聖堂のアトリウムで聖体降福式と「ウルビ・エト・オルビ」の祝福を行った。
「ウルビ・エト・オルビ」は基本的には復活祭とクリスマスの時だけだが、新しい教皇が選出された時など特別な時にも行われれる。ラテン語で「ローマから全世界へ」という意味の内容で、ローマ教区の教皇は世界に向かって祝福を送る。
バチカンニュースは27日、「フランシスコ教皇は誰もいないサンピエトロ広場で新型コロナの早急な終息のために祈りを捧げた」と見出しで大きく報道していた。ちなみに、新型コロナの感染を防止するために4月12日の復活祭の記念礼拝など聖週間の一連の行事は今回と同様、サンピエトロ広場で信者がいない中で挙行することになったという。
心の底からの真摯な「祈り」は人の心を変えるばかりか、神ですら動かすことが出来るといわれてきた。幸いにも、「祈り」はキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、仏教徒らの宗教者の専売特許ではない。人は自身の力を超えた存在に向かって、祈り、時には語り掛けるからだ。
新型コロナのパンデミックは国境、民族を超えて人が結束し、連携しない限り、克服することは難しい。教皇は、「人は一人では自身をも救うことが出来ない」と祈っていた。新型コロナの危機が、私たちが忘れていた「祈り」の力を思い出す契機となることを願う。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年3月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。