コロナ後の世界をどう見るか:危機を契機に日本人が「始動」することを期待

2020年を迎えた年初には想像もしなかったが、新型コロナウイルスの感染拡大が大変なことになっている。ついに、今年を象徴するイベントになるはずだった東京オリンピック・パラリンピックまで延期されることになってしまった。この危機(便宜的に、ここではコロナ危機と呼ぶこととする)がいつまで続き、どのような結果を生むのか。

nakashi/flickr:編集部

楽観的な見通しがある。少なくとも日本では、罹患者は激増しつつあるが、まだ死者は少なく、遅くとも夏頃には事実上収束するのではないか、そして、経済ショックもごく一時的なものにとどまる、という考え方だ。

筆者は、先週、上海に本社がある企業の日本代表(日本人)と会話する機会を得たが、上海では、平常化に向かってかなり自信を持ち始めている雰囲気だそうで、武漢でも公共交通が一部復活したという話もある。コロナ危機で、ネット関連企業は売り上げその他の伸びが著しいとの報道もあり、加えて、中国では、国家からの命令や自粛から解放されつつある中で反動消費(危機前よりも派手に消費)も一部見られているとのことだ。危機はいつか終わるわけで、その後は通常に戻り、むしろ、消費が拡大する形になるとの見立てである。

その一方で、大変に悲観的な見方もある。我が国はもちろん、世界でますます感染者が激増し、死者も増えていく可能性が捨てきれない。そうした物理的リスク以上に、経済の落ち込みが酷い。そもそも、この危機が一体いつまで続くのか全く見通せない。仮に少し収まっても第二波がいつ来るか分からない。

今回のコロナ危機は、1)世界(の主要国)がほぼ同時に大変なことになっている(牽引役が見当たらない)、2)先が見通せない(終わりが極端に見えない)、などの観点から後述する過去の危機と比べても特異である。航空会社などは、この状況が続くと、もって半年という話もあるが、弊社を含む中小・零細企業は、そのような体力すらなく、まさに消費が「蒸発」してしまった中で、危機は長続きする、という見立てだ。

私は、残念ながら後者のスタンスで、これから益々大変なことになると思っている。自ら主宰するリーダー塾でも、常々、8~10年周期での経済危機と政治変革のセット発動説を主張して、各自備えるように言っていたが(80年代末:バブル崩壊→日本新党、90年代末:アジア経済危機・日本の金融危機→自民党を「ぶっ壊す」小泉政権誕生、2000年代末:リーマンショック→政権交代・民主党政権)、2020年代に入る昨今、少なくともそろそろ経済危機や、それに伴う政治変動が起こると言い続けていた。

ただ、まさか、感染症が引き金になるとは正直予想していなかったことは告白せざるを得ない。

このコロナ危機を前に、経済対策を、との大合唱が各地で起こっている。すでに、米国などで大規模な経済対策が発表されているが、わが国でも総額50兆円以上の、1)現金給付、2)免税、3)無担保・無利子融資、、、などの対策が取りざたされているが、もちろん、そうした対策は必要ではあるものの、事態を好転させるまでの効果はないと思っている。

マイナス金利状態での金融政策(ETF買取増などを打ち出してはいるが・・)や、世界的に最悪レベルの債務を負った状態での財政政策には自ずと限界があり、一世帯や一人あたり仮に10万円程度のキャッシュを得たところで、状況を一変させるほどの力はない。

そんな中、先週、何か中長期的な日本の復興策はないものかと、「遷都論」を書いた。厳密には、「遷都」というより、いわゆる分都論(首都機能の分散)や拡都論(リニアなどの交通手段の革新により首都が広がる)につながるものと言えるが、具体的には、過去(特に90年代)の首都機能移転論の竜頭蛇尾化の現実を踏まえ、まずは、環境省を那須地域に、との主張だ。

「遷都」の大きな効果として、1)感染症や震災からのリスク分散、2)新庁舎建設などのインフラ整備をテクノロジー投資などを主体としたワイズ・スペンディング(賢い支出)で行う景気刺激、3)地方創生の実質化、などの観点が挙げられる。

さらには、憲法改正が現実的に難しくなった安倍政権のレガシー効果や次世代政治家の象徴である小泉進次郎氏が環境大臣であることの意味、世界の遷都の動きと日本人建築家の活躍などにも触れたが、詳しくは、メールマガジン内にリンクを貼ってあるので、是非、そちらをご覧いただきたい。

いずれにしても、危機に際しては、事態を大きく転換するようなドラマの創出が不可欠だ。これが出来るのは、大きな政治決断だけだと思う。

お蔭様で、私の論考は、界隈ではそれなりに話題になり、何人かの政治家から賛意やコメント等を寄せて頂いている。驚いたのは、論考を発表した先週金曜の当日に小泉環境大臣本人から携帯に電話をいただき、是非意見交換したいとの話があったことだ。大変な激務の中でのアンテナの高さや行動力の速さには恐れ入る次第だ。早速、月曜に1時間超にわたって意見交換させていただいたが、事の性質上、会談の内容を書くことは差し控えたい。

ただ、小泉大臣も私も、「アフター・コロナとも言うべき、コロナ危機後に、新しい日本のニューノーマル(新常態)が生まれているだろうし、少なくともそれが社会にとって極力良い方向になるよう、若手を中心に奮起して尽力しなければならない」と感じていることくらいは、書いても差支えなかろう。私が上記遷都論を書いたのも、その一環であり、小泉大臣は、会談の冒頭からそのことを本質的に理解して議論を進められていたことは間違いない。

苦境からの中長期的反転を前向きに考えることは、現在の絶望にかすかな光を見出す行為であり、「逃げといえば逃げ」だが、これこそが人間にとっての生きるという作用そのものだとも言えよう。

既に、1)教育・医療・テレワークなど、テクノロジーを活用した効率的・効果的な事業遂行が凄まじい勢いで進みつつあるが(まだまだコロナ危機への意識が弱いのか、各国と比べると日本での進展は遅いと言わざるを得ないが)、その他、2)各国のブロック化(不作もあってだが、今回のコロナ危機に際し、例えば、ベトナムがすでに食糧(コメ)輸出を止めはじめている。中国の「マスク外交」は、自国が生産大国なればこそ)、3)経営におけるキャッシュの重要性(それまでは、現預金を積み上げているのは「馬鹿な経営」だったが、こうなってみるととても貴重)、など、新しい世界の常識(ニューノーマル)が生まれてくる可能性が取り沙汰されている。

私の専門分野で言えば、「混雑していない世界」を経験した人や「都会のリスク」を痛感した人を中心に、いわゆるリゾート・テレワークはもちろん、地域に暮らすことや多拠点居住などが劇的に進む可能性がある。

少なくとも、想像力を極限まで働かせ、自分の考えをもって多くの仲間などと議論をするということが、コロナ危機を契機に日本中で湧き起こることを期待したい。そして、自分の考え方、自分の仲間たちの考え方が相対的なものであること(絶対的ではない)を意識しつつも、それでも勇気をもって、実際に行動に移す「始動者(リーダー)」が各地でたくさん生まれることを期待したい。

間もなくオンライン説明会や募集を締め切り(4月19日(日))、5月末から10期生を迎える青山社中リーダー塾が、そうした希望の場・積極的な議論の場の一つになるよう、苦しい時代ではあるが、自分もまた、塾頭として、一人の始動者(リーダー)として前向きに歩み続けたい。