安倍晋三首相は7日、新型コロナウイルスの感染対策として「改正新型インフルエンザ等対策特別措置法」に基づき、東京など7都府県を対象に緊急事態宣言を発令した。期間は5月6日までの約1カ月間だ。
日本でも感染者の数が増えてきた。首相は急激な感染拡大を阻止するために、国民に事態の緊急さを指摘し、外出の自粛や社会的接触の制限などを国民に呼び掛けた。そして「人と人との接触を8割削減できれば、2週間後には感染者を減少させることができる」と説明していた。
中国本土以外で最初の感染地となった欧州に住んでいると、「人がソーシャルコンタクトを80%削減しても、20%の社会的接触があれば、新型コロナの感染は拡大する」と実感する。1人の感染者から複数の新たな感染者が出てくる。感染が抑えられたという状況は、1人の感染者から新たな感染者数が1人を割った時だ。
オーストリアのスキーリゾート、チロルでは1人のバーテンダーから集団感染(クラスター)が発生した。人との接触を8割減らせば、コロナ危機を防げるというのは楽観的だ。無接触感染、空気感染で感染が広がっていく実例が多く報告されている。
オーストリアでは毎週、クルツ政権が新型コロナ対策の動向を監視し、必要ならば追加制限を実施してきた。メルケル独首相が先日、「オーストリアは常にわれわれより一歩、前に進んでいる」とクルツ政権の対コロナ対策を評価していた。外出制限、国民の不急不要な営業活動は停止され、学校も休校だ。今月6日からスーパーでのマスク着用が義務化され、来週からは公共機関、地下鉄や電車の乗車でもマスクが義務化される。
同時に、感染状況を踏まえ、復活祭後、閉鎖されてきた経済活動の一部再開を計画している。ただし、「状況が悪化すれば、制限解除は即、停止する」と釘を刺している。
ネーハマー内相は、「わが国の新型コロナ感染は現時点では抑制されている。隣国イタリアのような爆発的感染、死者の増加は見られないが、外出自粛、営業停止などの対策を緩和すれば、感染者が一挙に増加する危険性はある」として、「国民の95%は政府の対コロナ制限を実施しているが、問題は残りの5%だ。国民が一人一人コロナ対策を自主的に実施しなければ、新型コロナには勝利できない」と強調。新コロナ対策に違反した場合、罰金を徴収すると警告を発してきた。
ところで、新型コロナ対策をみていると、興味深い点に気が付いた。新型コロナ対策の基本的考え方は、「私が感染しない為ではなく、隣人を感染させない為」という哲学がある。
クルツ首相はマスク着用義務化について、「マスクは新型コロナの侵入を防げないが、相手を感染から防ぐという意味で価値がある。同じように、マスクをする人が増えれば、それだけ自身の感染の危険性は減少する」と説明し、マスク着用の第一目的は相手を保護するためにあると明確に説明していた。
ウイルス専門家の説明では、直径100ナノメートル(nm)の新型コロナウイルスは通常のマスクでは簡単に通過できるというが、マスクを着用していた場合、くしゃみやせきなどの飛沫を少しは防ぐことが出来る。例外は医療用のマスクだ。医療用マスクは感染した患者から感染しないために作られている。
今月12日はキリスト教社会では最大の祝日、復活祭(イースター)を迎える、欧州の通常の家庭では、若い家族が祖父母の家を訪問して一緒に祝う。祖父母も孫たちを迎えてハッピーだ。しかし、新型コロナ危機の今年はそのような家族の集いは厳禁となった。
クルツ首相は、「高齢者は新型コロナ感染の危険性が高い。祖父母を感染から守るためにも今年は家族での復活祭での集いは諦めてほしい」とアピールしている。
マスクの着用だけではない。外出自制、学校休校、社会的接触の制限といった一連の対策もこの「隣人が感染しない為」という基本的姿勢がある。この哲学は新型コロナ感染前にはあまり見られなかった考え方だ。働くこと、学ぶこと、遊ぶことは自分の為、という暗黙の理解があった。俗にいえば、「私ファースト」文化だった。それが新型コロナ危機以降、自身が選んだわけではないが、180度異なってきた。すなわち「隣人ファースト」文化だ。マスクを着用するのも自分が感染しない為ではなく、相手を感染させないために着用する。社会的接触の制限も同じだろう。私が不必要な外出を控えることで、他者に感染させる危険性を少なくするというわけだ。
オーストラリアのメルボルン出身の哲学者、ピーター・シンガー氏は相手を助けることは最終的には自分を助けることにもなる、という効率的な「利他主義」(独Altruismus) を主張している。同氏の哲学によれば、利他的な新型コロナ対策は最終的には自身をも感染から守る最強の手段となるわけだ。シンガー氏が主張する“効率的な利他主義者”は理性を通じて、「利他的であることが自身の幸福を増幅する」と知っている人々だ。具体的にいえば、自分がマスクを着用すれば、相手ばかりか自分も感染から守られるということになる(「利口ならば、人は利他的になる」2015年8月9日参考)。
中国共産党政権の新型コロナ対策はトップダウンで、必要ならば強制が伴う。欧米諸国では独裁国家のようなトップダウンの対応は難しい。とすれば、考えられる対応は新型コロナ用の治療薬、ワクチンが出来るまで、利他的な新型コロナ対策を継続していく以外にないわけだ。
ポスト「新型コロナ危機」を迎える時、人も社会も変わっているだろう、という意見を聞く。医療、教育、政治、経済分野の広範囲で、新型コロナ危機の痕跡が色濃く反映される、という意味で、人も社会も変わるだろう。しかし、それだけではないだろう。これまで支配的だった「私ファースト」の哲学が後退し、「隣人ファースト」の哲学が社会に自然に定着していく、という意味で、人も社会もやはり大きく変わっているはずだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年4月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。