メルケル独首相がここにきて活発な動きを見せている。せっかちな独メディアの中には「メルケル首相が政治の表舞台にカムバック」といった記事さえ報じている。オーストリア代表紙プレッセ(4月24日付)は、「ウイルスがアンゲラ・メルケル(首相)をどのように変えているか」という見出しの記事を掲載していたほどだ。
メルケル首相は連邦首相職を既に14年間務め、15年目に入っている。その期間、山あり谷ありで、決して平坦な道ではなかったことは周知の事実だ。特に、社会民主党(SPD)との第4次連立政権が発足するまでは大変だったし、その後は外国首脳を迎えた歓迎式典で体が震えるなど、積み重なった精神的ストレスから生じる体の不調問題が浮上した。
賢明なメルケル首相は自身の政治生命が終わりに近いことを悟ったのだろう。2018年10月、メルケル氏は与党「キリスト教民主同盟」(CDU)党首と連邦首相の兼任を止め、党首職をクランプ=カレンバウアー氏(現国防相)に譲り、首相ポストを2021年の任期満了まで務めた後、政界から引退する意向を明らかにした。
どの国でも政治指導者が自身の退陣時期を表明すれば、その瞬間から政治的影響力を失っていく。メルケル首相の場合も例外ではなかった。その後、メルケル首相の政治的影響力は減少し、体の不調もあって「21年とは言わず、その前に政界から引退したらどうか」という声がCDU内でも高まっていった。
メルケル氏の人生計画が変わってきたのは、昨年末、中国湖北省武漢市で新型コロナウイルス(covid-19)が発生し、それが今年に入り、欧州全土に広がり、イタリア、スペイン、フランスなどで猛威を振い、最近はイギリスにまで広がってきた頃からだ。メルケル首相の動きが活発化してきた、というか、首相の発言がメディアで報じられる機会が増えていったのだ。
先ず、なぜ政治的には「死に体」と思われてきたメルケル首相がここにきて復活してきたかだ。考えられる理由は3つだ。①与党CDUがメルケル首相の後継者選出問題に没頭し、党内は路線対立を繰り返してきたうえ、クランプ=カレンバウアー党首が党首ポストから降りることを表明、②第4次連立政権のジュニアパートナー、SPDはCDU以上に党内は不一致、ナーレス党首が昨年6月辞任表明した後、同年11月30日、2人党首の指導体制(サスキア・エスケン氏とノルベルト・ワルターボルヤンス氏)で再出発したが、対外的にアピールできるカリスマ性のある政治家はいない。その上、労働者の政党を誇示してきたSPDは党のアイデンティティを失ってきた、③新型コロナ対策は連邦政府ではなく州政府の所管。メルケル首相はイニシャチブを取る必要はなく、16州の新型コロナ対策を調停すればいいだけだ。新型コロナ対策での厄介な問題は州責任者に委ねられている。
まとめる。CDUとSPDの政権政党が党内問題に拘り指導力を発揮できないこと、新型コロナ対策ではメルケル首相に各州の調停役が求められてきたことだ。特に、新型コロナ対策では制限措置の解除時期で各州の間に不協和音がある。経済活動を早急に再開したいノルトライン・ベストファーレン州(NRW)のアルミン・ラシェット州首相を筆頭とした制限措置解除派が発言力を強めてきた一方、ドイツで最大の感染者数を出しているバイエルン州やバーデン=ヴュルテンベルク州は早期解除には警戒心が強い。バイエルン州のマルクス・ゼーダー州首相は21日、世界的に有名なビールの祭典「オクトーバーフェスト」の開催すら早々と中止を表明している、といった具合だ。
ちなみに、ドイツ政府の国立感染症研究機関であるロベルト・コッホ研究所(RKI)は新型コロナウイルスの感染拡大抑制策の緩和には、「新たに確認される感染者の数が1日当たり数百人まで減る必要がある」という条件を挙げている。
もちろん、メルケル首相が政治的カムバックした最大の背景には、ドイツが隣国フランス、イタリア、スぺイン、スイス、そして英国のように新型コロナが爆発的に感染拡大していないからだ。RKIによると、ドイツの感染者総数は24日現在15万383人、死者数5321人で人口比からみても感染の拡大は抑えられている。
その一方、メルケル連立政権は7500億ユーロ超の新型コロナ対策を打ち出し、23日には追加対策として、新型コロナの影響を受けている労働者や企業の支援に約100億ユーロを拠出するなど、新型コロナでダメージを受けた国民経済の救済に積極的に乗り出していることだ。
感染者の増加が抑えられてきたことを受け、メルケル政権は感染拡大抑制策を段階的に緩和していく方針を発表した。具体的には、20日から床面積が800平方メートル以下の小売店のほか、自動車ディーラー、本屋などの営業再開。学校は来月4日以降、順次再開するほか、美容院なども同日から営業を再開する予定だ。ただし、人と人の距離を取る制限は5月3日まで続ける。
メルケル首相は23日、欧州連合(EU)の首脳会談では新型コロナ感染でダメージを受けた加盟国への「復興基金」の創設で大きな役割を果たすなど、国内ばかりか、EUの舞台でも久しぶりにその存在感を発揮している。
メルケル首相は2015年、中東・北アフリカ諸国からの難民殺到時、難民歓迎政策を実施し、国民からの批判を受け、ドイツ・ファーストを標榜、反難民政策を掲げる極右派政党「ドイツのための選択肢」(AfD)の躍進を許してしまった。その結果、難民歓迎政策を引っ込め、国境閉鎖などの厳格な難民政策を実施せざるを得なくなった経緯がある。同時に、メルケル首相の支持率は低下した。
しかし、新型コロナはメルケル首相を生き返らせてきたのだ。ZDFの政治バロメーターによると、メルケル氏の与党「キリスト教民主・社会同盟」(CDU/CSU)の支持率は2週間前より4%増で約39%。連立パートナーのSPD(16%)、「同盟90/緑の党」(18%)、AfD(9%)はいずれも支持率を落としているのとは好対照だ。
メルケル首相は4月30日に各州首脳と再度協議し、5月6日には新たな制限措置の緩和を明らかにする予定だ。「政治生命は終わった」とみられてきたメルケル首相の復活は、欧州政界では歓迎されている。メルケル首相は、新型コロナで動揺する前の、「安定」していた欧州のシンボルだからだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年4月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。