「1か月後には8万人感染」のはずが、実際は3908人
4月7日に緊急事態宣言を出した際、安倍首相は、「東京都では感染者の累計が1,000人を超えました。足元では5日で2倍になるペースで感染者が増加を続けており、このペースで感染拡大が続けば、2週間後には1万人、1か月後には8万人を超えることとなります」と述べた。
東京都の累計感染者が1,000人を超えたのは、昨日4月26日からちょうど3週間前の4月5日であった。4月26日現在の東京の累積感染者数は3,908人である。5日前の1.18倍にとどまっている。5日で2倍になるペースとは、1日約15%増のペースだが、この5日間は1日平均3.4%程度のスピードで増加しているに過ぎない。
ちなみに5日間で2倍になるペースとは、7日間で約2.66倍になるペースである。したがって緊急事態宣言の際に安倍首相が言及したペースが続いていれば、4月26日の東京の累積感染者数は、2.66万人程度でなければならない。しかし実際は3,908人である。
すでにこれまでの『検証』シリーズで見てきたように、オリンピック中止が決まった3月24日翌日の3月25日小池東京都知事「自粛要請」会見の影響が出始めた4月に入った頃から増加率の鈍化が見られ、4月7日緊急事態宣言の影響が出始める4月3週目には鈍化がさらに進んだ。この傾向が緊急事態宣言発出から2週間をすぎた4月21日以降も続き、現時点で、新規感染者数の減少の傾向は、よりはっきりしてきている。
前回の『検証』と同じやり方で、週ごとの動向を見てみよう。累積感染者数(括弧内は新規感染者数)と前の週と比べた時とのそれぞれの増加率である(参照:東京都新型コロナウイルス感染症対策サイト)。
4月20~26日: 3,908人( 827人): 1.26倍( 0.81倍)
4月13~19日: 3,082人( 1,015人): 1.49倍( 0.98倍)
4月6日~12日: 2,067人( 1,035人): 2.00倍( 1.71倍)
3月30日~4月5日: 1,032人( 602人): 2.87倍( 2.06倍)
東京の新規感染者数は、明らかに減少傾向にある。次に全国レベルでの傾向を見てみよう(参照:東洋経済オンライン「新型コロナウイルス 国内感染の状況」)。
4月20~26日: 13,031人(2,812人): 1.27倍( 0.78倍)
4月13~19日: 10,219人( 3,603人): 1.54倍( 1.05倍)
4月6日~12日: 6,616人( 3,425人): 2.07倍( 2.21倍)
3月30日~4月5日: 3,191人( 1,544人): 1.93倍( 1.24倍)
やはり新規感染者数の減少傾向が認められる。
安倍首相は4月7日に「人と人との接触機会を最低7割、極力8割削減することができれば、2週間後には感染者の増加をピークアウトさせ、減少に転じさせることができます」とも述べていたが、この目標は達成されている。
藤原かずえ氏の指摘「ピークは4月12日だった」
もっとも減少を目指す目的は、医療崩壊を防ぐことにあるはずなので、どこまでの減少が必要かは、医療体制の充実との相関関係で評価されることになると思われる。
これに対して、「西浦教授が主張する『人と人との接触機会の8割削減』がまだ達成されていない」という理由で、目標達成の評価を覆そうとする人もいるようだが、倒錯している。「8割削減」は「感染者数の減少」の手段なのであって、その逆ではない。手段を目的と勘違いするのは、一番典型的な工程管理の落とし穴である。
減少に転ずる様子については、藤原かずえ氏が丁寧にグラフ化して、ピークは4月12日だったと述べている。
参照:新型コロナ外出制限の効果とリスク評価の方法論(アゴラ:藤原かずえ氏)
結局、いわゆる「3月の気の緩んだ3連休」の影響が出きったところがピークだったということだ。そして3・25自粛要請、加えて4・7緊急事態宣言の効果が出る時期になって新規感染者数の増加には歯止めがかかった。非常に簡明な話ではないかと感じる。
もっとも渋谷健司「WHO事務局長上級顧問」(日本のメディア用肩書)あるいは「元WHO職員」(海外メディアではこちらの肩書になる)「WHOコーディネーター」(渋谷氏が代表を務める上杉隆氏が社主である株式会社No Border代表就任時の肩書)のように、学者生命を賭けて、何週間も前から「日本は感染爆発の初期段階」「日本は手遅れ」「喫緊の感染爆発」と主張し続けている「専門家」=「WHO事務局長上級顧問」兼「元WHO職員」兼「WHOコーディネーター」もいるので、事情は複雑だ。
(ツイッターで上昌広氏などが、やたらと渋谷氏はすごいのだ!と言ったことを主張しているようだが、そんなことはどうでもいいので、渋谷氏には、日本で何週間も前から感染爆発が起こっていたことを証明する論文を、学者生命を賭けて、早く公表してほしい。)
「8割削減」を要求する思考停止が続いている
「専門家」は、藤原かずえ氏のような分析を、拒む。そしてただひたすら「思考を停止せよ、そしてただ8割削減せよ」といったようなことを述べ続ける。
4.22専門家会議会見の検証:渋谷氏は西浦教授にどう反駁するか?
実際にクラスターを起こした事例の研究分析など一切ない。「ロックダウンせよ!」と叫び続けるのでなければ、ただ、「あ!公園に人がいる!これでは8割削減達成できない!」といったような話だけを熱心に行っている。
もはや何が目的なのかは忘れ去られ、手段の一つでしかなかったはずの「人と人の接触の8割削減」目標が、完全に崇高で唯一の目的と化してしまっているのだ。現実世界ではどんな形で感染が進んでいるかといったことは忘れ去られ、「思考を停止せよ、ただ8割削減だけを考えよ」だけが独り歩きを始めてしまっている。
どうやら「専門家」は、4.22より前に感染者増加の鈍化が見られたのが気に入らなかったらしい。4月22日には、状況分析については、口を閉ざしていた。それでも西浦教授は、質疑応答で、記者に強いられて「鈍化が始まっているのは確実」と述べた。ただし、それでも、なぜ「42万死者」モデルは実現していないのかについて説明をするつもりは一切ないようである。
それどころか、驚くべきことに、NHKの番組に出演した西浦教授は「ようやく今週末に減少に転じたが、期待したほどの減少ではなかった」と、数字や根拠や考え方も一切示さず、ラフに語った。
ウイルス撲滅を夢見てないか?
「42万死者」はどうなったのか? いったい誰が「劇的な減少を期待」したのか?なぜようやく「今週末から」なのか?西浦教授以外の日本人のほとんどは、「42万死者」を予測しない代わりに、「劇的な減少への期待」も表明してもいなかったのではなかったか?
緊急事態宣言2週間後までは増加しないといけないので、減少は「今週末」からでないと認めない!などという頑なな気持ちは、西浦教授以外には誰も持っていないのではないか?
西浦教授は、感染者を減少させて、クラスター対策を再開して、ウイルスの撲滅までもっていきたいかのような壮大な願望を、繰り返し語っている。
“8割おじさん” こと西浦博教授がPCR検査について語ったこと。実際の感染者数、現在の10倍いる可能性にも言及(バズフィードジャパン)
多くの人々が、ワクチン開発か、集団免疫の実現でもなければ、撲滅はできないと考えている。しかし、西浦教授は、クラスター対策の再開によるウイルスの撃退を夢見ている。
目標設定は、西浦氏の仕事ではない。専門家なら、複数の政策に応じた複数の可能性を提示して、政策決定者の判断を助けることに努めるべきだ。専門家が自分の心の中で勝手に政策目標を設定し、その目標の実現に役立つかどうかを判断基準にして数字や発言を操作していくのは、危険な状態である。それなら、まず、その目標の妥当性を議論の俎上にのせる意見を述べるべきだ。
オウム信者と同じ心理状態に置かれた日本国民
私が大学時代に聞いた逸話を思い出す。
当時、キャンパスでオウム真理教の勧誘が盛んだった。その頃に聞いたジョークがある。
「麻原彰晃は、破局的な事件の勃発を予言した。ところがなかなか事件が起こらない。そこである信者がなぜ起こらないのかと尋ねた。すると麻原は答えた。『私が止めているのです』と。」
当時、そんな話で友達と笑い合っていたのだが、この話には恐ろしいオチがあった。麻原は、その5年後くらいに、このやり取りが通用しなくなってしまったため、仕方なく自分で地下鉄サリン事件を起こしたのである。
麻原のような人物は、「解脱できないのはお前の精進が足りないからだ」といったロジックも駆使する。自分の権威を維持するという目的が絶対になると、現実の事象を否定したり、叱責したりせざるをえななくなる。
「42万死者・8割削減収束」下の日本人も、麻原と向き合っている信者と同じような心理状態に置かれている。信じなければ破局(42万人死者)が訪れると言われる。そこで破局を回避してくれる尊師を信じて行動するのだが、どこまでいっても解脱(収束)は得られない。すると尊師は「それはお前が怠慢だからだ」と叱責する。解脱を目指す信者たちは、そこで死ぬまで尊師の奴隷となる。
数理モデルは、架空の抽象的条件で算出した計算式でしかない。したがって、計算ミス以外には、間違いというものがない。モデルに現実が屈服するようになると、世の中の事象が「破局(42万死者)」に進まなかった場合には、「私が警告したので最悪の事態を避けることができた」とか言っておけばいい。そうでなければ、「日本政府が事実を隠蔽しているだけで、実はもう感染爆発は起こっている」とでも言えばいいのだろう。
また、もし「解脱(収束)できる」という計算が実現しなかった場合には、「私の期待通りにお前が動かなかったからだ!」と他人を責めておけば、それで済む話だ。
最初から無理だった「8割減」
42万人に震え上がった素直な性格の方々は、猛然と「8割削減」教に突き進む。そして「あそこに外出している奴がいる、ああ!まだ公園に人がいる!」といった魔女狩り運動に奔走する。
しかし、わずか数か月の間に世界で300万人以上を感染させたコロナウイルスを、日本においてだけ収束させるなどというのは、常識で考えれば、気の遠くなる壮大な作業である。しかも「人と人との接触の8割削減」を1億2千万人の1か月の生活の中で完全に測定するのは不可能だ。たとえ指標を100にしても、1000にしても、無理だ。全ての家庭に隠しカメラを設置しても、まだ無理だろう。
ただ、結果だけが、「8割」の達成基準なのである。収束を達成するまで、「8割削減」したことにはならない。
そもそも驚くべきことに、西浦教授は、「医療と性風俗には残念ながら介入ができないと仮定して、一般の人口でそれを補填して、二次感染の平均値を1より下げるにはどれぐらい必要か見て、正確に言うと79%という数字が算出されました」と「8割」の根拠について語っている。と同時に、自分は「2月の前半から厚労省に詰めています。厚労省近くのホテルを転々として、いつも空いているところはないか探しています」という自らの生活ぶりについても語っている。
「このままでは8割減できない」 「8割おじさん」こと西浦博教授が、コロナ拡大阻止でこの数字にこだわる理由(バズフィードジャパン)
ということは、医療にも性風俗にも従事していないのに、外出自粛していない西浦教授のせいで、もう最初から「8割」は無理だったのだ!
ずっと人並みに自宅にこもっている私としては、魔女狩りをする人の気持ちがわかるような話である。
「憲法9条信仰」と同じ閉塞感
しかし西浦教授は悪くない。なぜなら、専門家だからだ。
悪いのは、西浦教授以外の国民である。国民は、この状態に置かれてしまったら、ほぼ永遠に自らの怠慢を恥じ、不徳をお詫びし、永遠に奴隷のように、自宅から魔女狩りを叫び続けるしかない。
この閉塞感には、どこかで既視感がある。憲法9条信仰だ。
狂信的な憲法9条教の信者たちは、冷静な憲法9条の解釈論に応じることすらしない。ただ、憲法9条を信じれば、必ず世界は平和になる、という計算式から議論を始める。そして憲法9条を信じない者がいるために世界は平和にならないという理由で、他人を非難する魔女狩りを始める。憲法9条は常に絶対に正しいという前提から出発すれば、期待した通りの世界が訪れないのは、すべて憲法9条を信じない連中がいるからだ、という結論しか導き出されない。
なぜ実効再生産数を2.5にして計算するのか、という指摘があるように、私は狂信的な憲法9条信者に対して、なぜ国際法を無視した解釈を通説とするのか、と指摘し続けている。すると、憲法学者からは「篠田は蓑田胸喜(極右という意味)だ!」という叱責の言葉をもらい、魔女狩りされそうになる。
憲法9条教の狂信的でおかしな解釈は、実際の政策では、採用されていない。それは政策当局者が怠慢だったり邪悪だったりしたためでなく、宗教的な理念モデルが、現実に適用できなかったからだ。
現下の「8割削減」教の布教活動についても、同じように冷静に見つめておく姿勢が必要だろう。「8割削減」に本気になるあまり、自らの怠慢を責め続け、あるいは魔女狩りに明け暮れる日々を続けていっても、数理モデルと現実とのギャップに、ますます苦しんでいくだけに終わると思う。
教条的な憲法9条信仰も、平和文化の普及という意味では、意味があった、という議論もあるだろう。8割削減も、同じように、突き放して一つのスローガンとして見るなら、効用があるかもしれない。
だが「8割削減」を、あたかも来世の幸せを約束する宗教教義のように狂信的に捉えてしまったら、やがて現実とのギャップに苦しむことになるだろう。