昭和天皇は退位すべきだったか?

高山 貴男

もし昭和天皇が退位していれば…

4月29日は昭和天皇の誕生日である。だから昭和天皇についても語っても良いだろう。

巷に「昭和天皇論」は様々なものがあり、多いのはやはり「ご聖断」に関わるものだが、あまりに注目されていないのものとして「昭和天皇の退位」である。これは「歴史のif」に属するものだが、戦後当初は少なからず議論された。

日本国憲法に署名する昭和天皇(Wikipedia:編集部)

例えば昨年亡くなった中曾根康弘元首相は若手政治家時代に昭和天皇の退位について国会で質問している。

最後に御質問を申し上げますが、それは天皇御退位の問題であります。(中略)皇太子も成年に達せられ、戦死者の遺家族たちにもあたたかい国家的感謝をささげ得ることになつた今日、天皇がみずから御退位あそばされることは、遺家族その他の戦争犠牲者たちに多大の感銘を与え、天皇制の道徳的基礎を確立し、天皇制を若返らせるとともに、確固不抜のものに護持するゆえんのものであると説く者もありますが、政府の見解はこの点についてはいかなるものでございましようか、御親切な御答弁をお願い申し上げます。(1952年1月31日)

第13回国会 衆議院 予算委員会 第5号 昭和27年1月31日

中曽根は他人の意見を紹介しているだけだが、天皇・皇室制度への敬愛が誰よりも強い「保守政治家」が退位論を紹介すること自体、興味深いし「保守政治家」特有の着眼点、すなわち、退位通じて「天皇制の道徳的基礎を確立し、天皇制を若返らせるとともに、確固不抜のものに持する」が確認できる。

確かに昭和天皇が退位することで良く悪くも天皇は「大日本帝国的なもの」から離脱し、真の意味で日本国憲法で要請される「国民統合の象徴」となり、それこそが天皇制度を安定させるという考えは説得力がある。

そして天皇が「大日本帝国的なもの」が離脱した場合、その影響は天皇制度の次元に留まらない。おそらく「戦後」の政治地図も大きく変え、具体的には護憲派の政治勢力も相当に小さくなったと思われる。

護憲の大義名分として「大日本帝国の復活阻止」があるが、昭和天皇の存在自体が「大日本帝国の復活」にリアリティを持たせていた。なにしろ昭和天皇は「大元帥」だった。

更に昭和天皇を巡っては「戦争責任」の議論で右翼テロ(長崎市長への銃撃等)もあり、まさにこれは昭和天皇だからこそ起きたものである。

1952年の講和条約発効と同時に昭和天皇が退位していれば議論を破壊・混乱させる護憲派も政治勢力として限定的となり、また大日本帝国に憧憬を持つ右翼も問題外となり、リベラルな性格を持つ「寛容な保守」が政治・社会で圧倒的勢力となり改憲も現実的な政治課題となり日本は1970年代くらいに憲法9条改正(9条2項削除)ができたのではないかと考えるのは夢想だろうか。 

やはり夢想だったか?

「当たり前である! 『歴史のif』でも夢想が過ぎる!」とのお叱りの声が聞こえそうである。昭和天皇がいたからこそ「保守」は政治的に結集して自民党という巨大な政党を立ち上げ、護憲派と闘ったのだと。

実際、中曽根のような姿勢は「保守」界隈でも少数派であり、決して主流にならなかった。確かに昭和天皇の退位が退位に留まる保証はない。退位に続いて「廃止」の声が高まることも十分にありえる。

1952年、明仁親王(当時)とともに:Wikipedia

また1952年時点で「明仁天皇」が成立してもその「若さ」が武器になるとは限らない。「若さ」はどうしても「軽さ」「優柔不断」と解釈されがちであり、天皇・皇室制度の廃止を目指す勢力はそれを強調するだろうし、廃止の急先鋒だった日本共産党は講和条約を締結した1951年9月の翌月には武装闘争を決定しより過激になっていた。

中曽根がこうした社会情勢を念頭に退位論を紹介したのかどうかはわからないが少なくとも「落ち着いた議論」ができる環境ではなかったように思われる。

昭和天皇の退位を巡る議論が逆に日本社会を分断させてしまうならば退位論には触れないほうが賢明であるし、むしろ求められる。

そうすると「昭和天皇退位→護憲派・極右の衰退→寛容な保守の成立→9条改正」はやはり夢想だったということか。

「落ち着いた議論」を阻むもの 

ここまで書いたことはどこまで行っても「歴史のif」である。

それでも「もう一つの戦後」の可能性があったことを意識することは無駄ではないだろう。仮に1952年前後「落ち着いた議論」ができる環境が整っていたら、例えば天皇・皇族個人に対する名誉棄損、侮辱を守る体制が整備されていたならば状況は違っていただろう。

今でも天皇・皇室制度を巡る議論はとにかく騒がしく過激で品位がなくなりがちである。それを改めるためにも主従関係を意味する「不敬罪」は復活させることはできないが、日本国憲法の理念に合致した天皇・皇族個人の防御体制の整備は積極的に議論されるべきである。

昭和天皇は守ったのは昭和天皇自身

昭和天皇個人への評価も退位論に影響を与えたのは間違いだろう。

昭和天皇は純然たる「平和主義者」ではなかったかもしれないが戦争を極力さけ外交を重視するリベラルな国際主義者だった。

アメリカのニクソン大統領夫妻と昭和天皇・香淳皇后(Wikipedia)

筆者は歴史趣味の一環として昭和天皇の発言記録を可能な限り集めているが、記録にある昭和天皇の発言から一貫して感じられるのは「理性」である。

昭和天皇の記憶がない「昭和生まれ平成育ち(1983年生まれ)」の筆者からすると「もし大正天皇だったらどうなっていたことか」という感想すらでる。

昭和天皇は「理性」があったからこそ二・二六事件を鎮圧、本土決戦に燃える陸軍を抑え連合国に降伏することができたのである。

もし戦前、昭和天皇が「私はいつでも開戦の詔勅を読み上げる用意がある」とか「アメリカといつ戦うのか」と述べていれば間違いなく「最後の天皇」になっていただろう。

今も昔も日本国民は決して「従順な羊」ではない。

こう考えると昭和天皇を守ったのは昭和天皇自身といえる。