規制緩和後の「新しい正常化」とは

欧州の指導者が今、頻繁に口に出す言葉は「正常化」だ。それも「新しい正常化」だ。中国湖北省武漢で発生した新型コロナウイルス(covid-19)が欧州全土に感染し、欧州で世界の死者数の半分以上を占めるほど犠牲者が出たが、5月の声を聞くや、欧州各国は段階的に規制緩和に乗り出してきた。

5月から「新しい正常化」がスタート(Otto Rapp/flickr)

全ての欧州諸国がオーストリアのように、感染の基本再生産数が1を割ったからではない。1を割るまで待っておれないからだ。経済活動を一刻も早く再起動させないと、国民経済は深刻なリセションに陥り、多数の失業者が出てくる。グズグズできない、というのが欧州各国の台所事情だ。そのような中で、第2波、第3波の感染拡大を警戒し、規制緩和に慎重なウイルス専門家たちの声はいつの間にか抑えられていったわけだ。

中国発ウイルスの感染防止のために、2月下旬から3月初めにかけ欧州各国は感染防止の規制措置を議会の協議も駆け足で通過し、通称「新型コロナ法案」を採択。国民の自由は大幅に制限されていった。

外出自粛、経済活動は停止され、社会コンタクトの制限、政治・文化、スポーツのイベントは中止され、人と人のソーシャルディスタンスは1メートルを守るようにいわれてきた。イタリア北部ロンバルディア州の新型コロナの爆発的感染を目撃した欧州では外出規制などの特別措置に対して国民の間で大きな抵抗はなく、マスクの着用も定着していった。

オーストリアでは、幸い、感染爆発といった現象はなく、集中治療室のベットがなくなり、医療崩壊といったこともなかった。欧州の中でも国境閉鎖、外出自粛などの規制措置をいち早く実施してきた同国で感染の再生産数は4月末現在で約0・9だ。集中治療室のベッド数は余裕があり、回復者も増えてきている。そこで5月から新型コロナの規制緩和に乗り出すわけだ。

5月2日から経済活動は再開される。ホテルなど観光業界の再開時期はまだ決まっていないが、今月末までには再開される予定だ。もちろん、公共場所やストアーでの買い物にはマスクの着用が義務化される、1メートルの距離を置くことも、これまでと同じように実施される。スポーツも段階的に再開されるが、文化活動の再開は遅れそうだ。

クルツ首相は、「国民が規制措置を忠実に守ってくれた結果、経済活動を再開できるまでになった。正常化へ一歩前進する」と国民に感謝する一方、「ただし、正常化はわれわれが新型コロナ前の自由を享受してきた生活に戻ることを意味しない。新しい正常化だ」と強調している。

首相は「新しい正常化」が何を意味するかを説明していないが、新型コロナ対策で実施してきた規制措置を維持しながら、最大限の自由を享受していくというものだろう。閉鎖されてきたショッピングモールにも出かける事が出来るようになるが、同時に、マスクの着用、他者との一定の距離を取るなどの生活規制を遵守し、相互が感染防止のために努力していくという意味だろう。

「新しい正常化」と共にここにきて頻繁に聞かれ出した言葉は「個々の責任をもって」だ。すなわち、感染防止のために個々が責任を持って対処するということだ。国が主導して実施してきた感染防止の時は過ぎ、これからは国民一人一人が責任を持って感染防止に努めていくという意味で「新しい正常化」という表現になったわけだ。

新型コロナウイルス危機の前、多くの人は自由を当然のように満喫し、買物でもスーパーの従業員に感謝するといったことはなかったし、地下鉄や市電など公共交通機関の職員にお礼を言うことなど思いもつかなかった。しかし、新型コロナの感染が拡大し、皆が感染を恐れていた時もスーパーで国民の食品、日用品を取り扱ってきた従業員、治療の現場で献身的に歩む医療関係者の姿をみてきた。だから新型コロナ「前」と「後」では「正常化」の意味するところが当然違ってくるわけだ。

新型コロナはまだまだパワフルだ。治療薬、ワクチンが出来るにはまだ時間がかかるだろう。新型コロナで体験した「新しい正常化」を今後の歩みに生かす人々が多く出てくれば、社会は一層連帯感を強めていくだろう。しかし、規制緩和後の「新しい正常化」がうまくいかずに感染者が急増するような結果をもたらしたならば、「新しい正常化」前より厳しい状況に直面するかもしれない。

規制緩和はどの国にとっても大きな賭けだ。その成否のカギは政府の対策というより、国民一人一人が再び与えられた自由をどのように使うかにかかっていると言えるだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年5月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。