高裁の逆転無罪判決(「40.逆転の刻」より)
原判決を破棄する。被告人は無罪。
(中略)
小倉裁判長は、すこしはしゃぎ気味の弁護団を横目に判決の理由を述べ始めた。技術開発へ配慮した意欲的な判決理由であった。木村警部らの金子に対する最初の取調は違法であると断じ 、そのときの調書を証拠から排除していた。
技術開発に配慮するとともに著作権侵害蔓延目的である旨、作文した「申述書」を恫喝して収集した調書を証拠から排除した判決に司法府の良識がうかがわれる。
検察の上告(「「41,伝説が終わり、歴史が始まる」より)
2009年10月21日、検察が上告したニュースが入ってきた。
(中略)
上告するもとは予想していたことでもあったので、特に感想はなかった。
私は、上告の連絡を聞いて、自分の ブログに書いた。
最後の闘いが始まった。
恐れも焦りもない。
私はもう一度全てを懸けて戦い、もう一度無罪を勝ち取る。
それだけである。
ただ、彼が プログラマー として輝ける時間を、さらに無駄にすることだけが残念である 。
後述するように最高裁の上告棄却により無罪が確定するまでにさらに2年を要した。そして、金子が再び研究者として過ごすことが出来たのは半年だけであった。壇氏もさすがにそこまでは予測していなかったと思うが、以下に紹介する検察のメンツのために金子の貴重な時間をさらに奪われることは残念至極だったと思われる。
検察から全文116ページの上告趣意書が提出されたのは、2010年3月23日であった。
(中略)
上告書はこれまでとは違うボリュームと恥も外聞も無い主張に、なにがなんでも金子を罪に陥れようという、組織のメンツと狂気を感じた。
負けてはいられない。検察の上告理由に反論するべく、弁護側は2010年6月30日に100ページを超える答弁書を提出した。
最高裁も上告を棄却(「41,伝説が終わり、歴史が始まる」より)
(前略)
2011年12月20日の午後東京行きの新幹線の中で、パソコンを開いたところ、ツイッターにWinny事件上告棄却のツイートが飛び込んできた。私におめでとうというツイートもあった。
しかし……なんで、私が知らんのじゃい!
(中略)
無罪を相当とした多数意見は「 例外的で無い程度の著作権侵害について故意がない 」というものであった。 「開発者もWinny の現実の利用状況を認識していない」という 主張 が、 なぜか ここで認められたのである。
一般的にはクビをかしげそうな理論ではある。 ただ 最高裁も金子のような人物を有罪にしてはいけないと思う程には常識的だったのであろう。有罪の反対意見を書いた1人の裁判官を除いて。
その裁判官も執行機関の性急な捜査、起訴を次のように戒めた。
本件において,権利者等からの被告人への警告,社会一般のファイル共有ソフト提供者に対する表立った警鐘もない段階で,法執行機関が捜査に着手し,告訴を得て強制捜査に臨み,著作権侵害をまん延させる目的での提供という前提での起訴に当たったことは,・・・性急に過ぎたとの感を否めない。
壇氏は続ける。
そんなことをしている間に、コンテンツ配信の世界は、iTunesやYoutubeに席捲された。P2Pの技術開発は日本から失われた。日本が海外のサービスを模倣するだけになってずいぶん経つような気がする。
下表は「『ウィニー事件』弁護人の話に思う、平成日本の敗因」で紹介した平成元年と31年の世界時価総額ランキング上位10社の国別・業種別内訳である。
・世界時価総額ランキング上位10社の内訳
平成元年(1989年) | 平成31年(2019年)4月 | |
国別 | 日(7)i、米(2)、オランダ(1) | 米(7)iii、中(2)、オランダ(1) |
業種別 | 金融(5)、エネルギー(3)、IT・通信(2)ii | IT・通信(7)iv、金融(2)、エネルギー(1) |
i. 金融5社、NTT、東電
ii. NTT、IBM
iii. グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン(GAFA), マイクロソフト、金融2社
iv. GAFA, マイクロソフト、アリババ、テンセント
(平成最後の時価総額ランキング。日本と世界その差を生んだ30年とは?をもとに筆者作成)
まず、国別に見ると、元年に7社を占めていた日本は31年には皆無。表にはしてないが、ランキング上位50社を見ると、元年に日本は32社を占めていた。アンドリーセン氏がシリコンバレーを乗っ取られるのではないかと恐れた理由もうなずける。ところが、31年には1社(43位のトヨタ自動車)のみと、その凋落ぶりがより鮮明になる。
業種別に見ると、凋落の原因がよくわかる。元年には2社だったIT・通信が7社に急増。しかも上位4社はアップル、マイクロソフト、アマゾン、グーグルの米IT企業。このうち、アマゾン、グーグルと9位のフェイスブックの3社はいずれも平成生まれ。中国の2社(アリババ、テンセント)も平成生まれである。上位10社中7社を占め、うち5社は平成生まれのIT・通信業界で、米中のようにスーパースターが生まれなかったのが平成日本の敗北の原因といえる。
コンテンツ配信を担うIT・通信業界で米中に完全に遅れを取ったわけである。檀氏は続ける。
結局、裁判に7年半を費やした金子に残されたのは、プログラマーとしてのほんの小さな名誉だけであった。
連載①で紹介したとおり、億万長者となった欧米の天才プログラマーに比べて、「残されたのはほんの小さな名誉だけ」というのは、あまりにも気の毒で慰める言葉もない。ただ、小さな名誉だったかもしれないが、次節のとおり、後進のためには意味のある7年半だったのも間違いない。
壇氏の慚愧の念(「42.最後の刻」より)
彼は、残りの人生を、これから日本で生まれてくる技術者の為に使って欲しいという私との約束を守ったことになる。
人は死ぬ。
しかし、プログラムは死なない。
彼が遺したプログラムは今日もどこかで動いている。彼が勝ち取った正義は、この日本にとって大切な意味があったと思う。ただ、 7年半もの月日 を裁判に費やした彼が、再び研究者として過ごすことが出来たのは半年だけであった。
たったの半年だけ
もし、あの 刑事事件がなければ、P2P が彩る世界は違うものになっていたかもしれない。
もし、あのとき嘘をついて罪を認めてしまえば、彼は刑事事件で費やした時間を大好きなプログラムに充てることが出来たかもしれない。
私は彼に無辜の技術者としての 最期を 迎えさせてあげる ことができたという自分への慰めと、金子から人生の重要な時間を刑事事件で奪ってしまったことへの慙愧の念の入り交じった複雑な思いで、揺れ動いている 今日も。
「あの刑事事件がなければ、P2P が彩る世界は違うものになっていたかもしれない。」との指摘には全く同感である。連載④のとおり、多くの日本のインターネットの先達が指摘するとおりだからである。
「あの時、嘘をついて罪を認めてしまえば、彼は刑事事件で費やした時間を大好きなプログラムに充てることが出来たかもしれない。」とする気持ちもよくわかる。しかし、金子個人には大変気の毒だったが、やはり無実を勝ち取るまで戦ってよかったと思う。開発者の逮捕、起訴が技術開発に与えた萎縮効果は抜群だった。当時、若手研究者に論文は海外で発表するようにアドバイスした指導教授もいた。無罪判決は少なくとも、こうした研究者の懸念を払しょくする効果はあったはずである。