中国湖北省武漢市から発生した新型コロナウイルスの感染者数が9日、世界で400万人を超えたというニュースが流れてきた。その数はバルカンのクロアチア人口に相当する。世界の感染地となった欧州諸国でも5月に入って、次第にロックダウン(都市封鎖)を解除し、経済活動、社会活動の再開に乗り出す国が増えてきている。
もちろん、新型コロナは感染症だから、都市封鎖など措置を緩めれば、感染が再び拡大するリスクはある。にもかかわらず、感染者の再生産者数が1.0を割った場合、新型コロナが絶滅するまで封鎖など特別措置を延長できない。賭けだが、封鎖解除などの政策に乗り出さざるを得ないのが欧州諸国の実情だろう。感染対策を継続しつつ、国民の経済活動を再開しなければならない。両者のバランスをどのように維持するかで、欧州の政治家たちは苦慮しているわけだ。
そこで「新型コロナ」と「失業者問題」について書こうと思っていた矢先、オーストリアの日刊紙スタンダード電子版(5月9日)に元外相だったカリン・クナイスル女史がロシアの国営メディア「ロシア・トゥディ」(RT)にコラムを掲載したというニュースが報じられていた。
元外相は中東問題の専門家として有名だが、職業政治家ではない。クルツ第1次政権で極右政党「自由党」の推薦で外相に就任したものの、自由党のシュトラーヒェ党首のスキャンダルで連立政権は解散に追い込まれ、同女史もポストを失った。新型コロナの影響もあって、女史は現在、完全な失業者だという。その人生の窮地に救援の手を差し伸べたのがロシア国営メディア「RT」だったわけだ。
ロシア側が突然、クナイスル女史の窮地を知って、同情して助けたいと思ったわけではない。ロシア国内で新型コロナが大感染している時だ。その上、新型コロナの影響もあって、ロシアの唯一の外貨収入源である原油価格が暴落し、国家財政が一段と苦しい。本来、外国の元外相を手助けする余裕などない。しかし、女史とロシアとの関係は“縁”があるのだ。それも“ダンスが取り持った縁”だ。
女史の名前を世界的に有名にしたのは女史の結婚式(2018年8月18日)にロシアのプーチン大統領を招待し、祝いの席で一緒にダンスをした話が世界に報じられたからだ。外相としてまだ名は知られてなかったが、結婚式でのプーチン氏とのダンスの写真は世界を駆け巡った。
政治家の名が歴史に残るのには、政治的業績が先ず挙げられるが、女史の場合、外相時代が短かったため、「アルプスの小国オーストリア外相」ではなく、「結婚式でプーチン氏とダンスに興じた外相」としてその名を残すことになったわけだ(「プーチン氏を結婚式に招いた外相」2018年8月18日参考)。
クナイスル外相がプーチン氏を結婚式に招待したことが報じられると、オーストリア外交に対し批判の声が上がった。同国外務省報道官は、「わが国の外交には全く影響がない。外相のプライベートな結婚式であり、プーチン氏の訪問も個人的なものだ」と説明し、同国外交が親ロシア寄りだ、という批判を必死に否定した。
一方、ロシア問題専門家、インスブルック大学のゲルハルド・マンゴット氏は、「プーチン氏の結婚式招待はオーストリア外交にマイナスだ。オーストリアがロシアにとって欧州連合(EU)への道案内役と受け取られるからだ。プーチン氏にとっては制裁下でも決してロシアは孤立していないことを誇示できる絶好のチャンスだ」と述べるなど、国内でも当時、賛否両論があった。
ちなみに、女史は外相時代、ウィーンを訪問した河野太郎外相(現国防相)と会談している。当方は両外相の記者会見を取材した。クナイスル外相の場合、ドイツ語、英語のほか、得意の外国語はアラビア語だ。クナイスル外相がアラブ出身の難民にアラビア語で話しかけた時、その難民は非常に驚いたという話が伝わっている。それほど、外相は完全なアラビア語で話したからだ(「『河野外交』と呼ばれる日は来るか」2018年7月7日参考)。
その女史がクルツ第1次政権の突然の解散、そして新型コロナの欧州感染などで目下、失業状態だ。「収入はなくなった」という。それ以上に、プーチン氏ら世界から要人を招いて挙行された結婚が破綻し、4月に入り「シングルに戻った」ことを明らかにしている。離婚し、職を失うなどの人生の窮地にある女史に声をかけたのが「RT」というわけだ。もう少し厳密にいえば、かってのダンス・パートナーのプーチン大統領だったわけだ。
「困っている時の友こそ真の友」という言葉がある。ロシアや中国は財政的に困っている外国人政治家、要人、学者、知識人がいれば、手助けを惜しまない傾向がある。人脈つくりだ。窮地の時に助けてもらった側はその恩を忘れない。その結果、イデオロギーより強い繋がりを生み出すケースが少なくないのだ。
プーチン氏はドイツ元首相のゲアハルト・シュレーダー氏に国営企業の要職を提供するなど、欧州の政治家の再就職先を斡旋することに長けている。女史はアラビア語も堪能でアラブに人脈を有する才媛だ。ロシアの対中東政策で知恵を引き出せるかもしれない。その意味で、女史の「RT」への寄稿もプーチン氏の人脈造りへの投資というべきだろう。
このような人材リクルートが可能なのは、憲法を改正し、終身大統領の道を開いたプーチン氏だからこそ可能な業だ。プーチン氏は窮地にある西側の政治家たちを見つけると、「苦難の時の真の友」でありたい、という欲求を抑えきれないのだろう。
それにしても、窮地の西側政治家たちには救いの手を差し伸ばそうとするプーチン氏が、なぜ国民の窮乏には関心がいかないのだろうか。
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なお、11日午前11時半(ウィーン時間)、市保健局から8日に実施した「新型コロナ検査」は「陰性」だったという報告を受けました。ご心配して下さってありがとうございました。今後とも宜しくお願いします。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年5月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。