医療行政と統計学のありかたがにわかに注目を集めている。先日アゴラで公開された八幡和郎氏の下記の記事について大いに共感するところがあった。
特に医療行政の根拠となる医学統計、あるいは疫学と呼ばれる部分について、我が国は他国よりも共通認識化が遅れていると日頃より感じている。
これは医療従事者のみならず、一般利用者がインフォデミックやフェイクニュースに対する「免疫」を得るために必要であり、幅広く一般教養として理解して然るべきものではないかと考えている。
医学統計や疫学は必ずしも高校の数学をマスターしていなくても「着眼点」を養えば十分理解可能である。以上をふまえて、医学統計の教育や、社会的コンセンサスに関して私なりの論考をまとめたいと思う。
1. 医学統計が確立されたのは1980年代以降
いまでこそEvidence-Based Medicine 「個々の患者のケアに関わる意思を決定するために、最新かつ最良の根拠(エビデンス)を、一貫性を持って、明示的な態度で、思慮深く用いること」として一般的にも認知されつつある疫学統計だが、その歴史は意外と浅い。
医学分野にメタ解析の概念を導入したコクラン共同計画(英)は1980年頃。EBMという概念が登場したのは1990 年頃だ。
(参考)Cochrane日本語版
(参考)臨床研究における疫学と統計学(疫学総論)― 日本救急医学会雑誌(2009年)
この当時、1980-2000年ごろにかけて、エビデンスを得るための疫学研究のフォーマットが確立してきたと言える。同時代はメタ解析の土台となるランダム化比較試験(RCT)が積極的に行われた。
続いて1996年にCochraneからQUOROM声明というガイドラインが発表されたのをきっかけに、メタ解析の論文発表は爆発的に伸びた。メタ解析を含み、一定の追試可能な手順に基づいた論文をシステマティックレビューというが、このフォーマットは2009年にCochraneから発表されたPRISMA声明にて整ったと言える。
システマティックレビューおよびメタアナリシスのための優先的報告項目(PRISMA声明) ― 情報管理(2011)
それから10年経過した現在において、恣意的なPRISMAの運用によるシステムジャックや、乱発される質の低いレビューなどといった問題が発生しているが、それらは別の機会にまとめたい。
2. 未だに残るエビデンス懐疑論、変化が遅れる日本
注目してほしいのはこれらが確立してきた時期で、私が勉強して感じたことはEBMの歴史の浅さである。
つまり現在の70代が学生の頃にはエビデンスの概念はほとんど存在していなかったし、50代が学生の頃にも十分現場に浸透していたかというと疑問である。システマティックレビューはオンラインデータベースの検索によって作成されるので、その浸透とデジタルネイティブの社会進出の時期は重なるようにも見える。
そういうわけで、現在の医療界や政界の「重鎮」が教育を受けた頃にはエビデンスという概念はほとんど存在しなかったと言える。年功序列、徒弟制度が根強い日本という環境の中で、未だEBMに対して懐疑的な空気が残るのも仕方ないこととは理解する。
しかし欧米諸国はこれらの医療統計、疫学による意思決定を尊重してきたし、その手法についてはここまで見てきたように、積極的に発展させてきた。「この世で一番むずかしいのは新しい考えを受け入れることではなく、古い考えを忘れることだ。」とはケインズの名言の一つだが、欧米の医療行政はその困難を乗り越えて前へ前へと進んでいる。
3. 社会統計学の義務教育充実を
これら統計学は一部の知識層のみが理解していても不十分だ。幅広い一般国民が基礎教養として持つことで、医療をはじめとする行政判断の際、国民の理解につながるものと考えている。
私の所属する地域政党 あたらしい党内で現役教師とディスカッションした際に、文科省も小中学校でのデータ分析・統計教育の充実を図っていると聞き知った(参考 P.10)
一方で教育内容を増やし続けるのは教員負担にもなり、学ぶ側にとっても何を重要であるか見定められなくなるハレーションが生じる。「何をしないかを決めることは、何をするのかを決めるのと同じくらい大事なことだ」とはスティーブ・ジョブスの言葉だ。デジタルツールの発展とともに縮小削減できるものもあるのではないかとは思うが、門外漢のためここまでとする。
また医科・歯科大学教育においては医療統計、疫学は衛生学として行われるが、衛生学の守備範囲は現行医療行政制度の解説から住宅環境・労働衛生にまで多岐に及び、明らかにボリュームが多すぎる。
これが医療統計、疫学の卒前教育が手薄になる一因と考えている。衛生学教員は各医療行政が変更になるたびに、それが直ちに国家試験に出るので、分析に忙殺されている。医療統計を外科学や内科学と並列するような一分野として独立させ、医師・歯科医師国家試験の出題割合を増やすのは有効だと感じる。
一方で八幡和郎氏は数学の重要性を訴えるが、むしろ数式の前後の部分、母集団の設定や除外基準、使用した統計学的手法、解析結果の数値から、その実験にどういうバイアスが含まれているか類推する等と言った技術が重要だ。
それを実際の個人・経営・行政判断にどう結び付けるかといった、データに基づく意思決定のコンセンサス醸成を教育に期待している。
またデータの重要性への理解が高まることで、各省庁で真っ先に人員削減されていると伝え聞く統計分野の強化や、デジタルアーカイブを活用した情報の集積・保存・公開の徹底といった、情報インフラの充実にもつながるのではないだろうか。
まとめ
私が学ぶ歯周病学はまさに医療統計と疫学から治療法が解明された分野だ。そして歯周病学の確立に大きな功績を残したスウェーデン イエテボリ大学のJan Lindhe教授の下で受けた関野愉准教授から、私は大学院で医療統計や疫学の重要性を学んだ。
そのとき感じたのは、もっと多くの人が、もっと教育の初期の段階で、これらの概念を理解すべきだということだった。
誤解されがちだがEBMは個々の治療法を否定しない。EBMはあくまで参考として医師と患者がインフォームドコンセントとして共有すべき情報で、その情報を踏まえた結論をどうするかは患者自身が自己決定権に基づき決めるものである。
今後人類は様々な未知の病原体や公衆衛生の脅威に出会う可能性があるが、医療統計や疫学はそれらと戦う心強い武器である。
またインターネットの発展とともに現れたインフォデミックという新しい公衆衛生の危機に対する「ワクチン」としても、多くの国民が一般教養として医療統計、疫学などといった社会統計学の基礎を理解するのは重要なことと考えている。