こんにちは、音喜多駿(参議院議員 / 東京都選出)です。
週末からものすごい勢いで盛り上がりを見せている「#検察庁法改正案に抗議します」問題。
5月12日は自公を除く主要政党により、合同記者会見(公開討論会?)が行われました。
検察庁法改正案 野党5党の党首らがネット上で会見(NHKニュース)
こちらの動画は90分強ありますが、毛色の違う維新が入って激論になったことで結果的にかなり論点が網羅されたと思うので、ぜひ一人でも多くの方に見ていただきたいです。
維新の党内では昨日、政策調査会で賛否両論が飛び交う活発な議論が行われ、最終的な法案賛否はまだ決まっていないところではありますが、以下に現時点での私個人の考えを整理しておきたいと思います。
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今回の検察庁法改正案の論点は
・経緯論(黒川検事長の問題)
・手続き論(法案審議のプロセス)
・政策論(法案の内容)
と大きく3つに分かれており、しかし別れてはいるのだけど単純に切り離すことができず、結果として問題視する部分に個人差が大きいという様相を呈しています。
ことの発端はご案内の通り、今年1月に黒川検事長の定年延長が、法解釈の変更により強引・不透明なプロセスで閣議決定されたことです。
法律の解釈変更は一定程度、内閣にその権限が委ねられているとはいえ、公文書がなく「口頭決裁」であった点や、国会答弁がブレまくった点も含めて、この決定には大きな問題があったと言わざるを得ません。
今回の改正案は、この「強引な法解釈」によって乗り切った黒川検事長の定年延長を、ある意味では事後的に追認・合法化するものです。
法改正が成立しても施行するのは2年後ですし、閣議決定はもう行われた後ですから、確かに今回の法律改正によって黒川検事長の定年延長が決定するわけではありません。
(「【完全解説】なぜ今、「検察庁法」が大炎上しているのか?/NewsPicks」より抜粋)
しかしながら、昨年に出される予定だった検察庁法改正案と、今国会に出されている同法案の内容が大きく変わっている(個別の定年延長の件が追加されている)点などを考えると、やはり本改正案は黒川検事長問題と「地続き」になっていると考えるほうが自然だと私は思います。
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では、「黒川問題と繋がっているからダメだ!(経緯論)」となるかというと、必ずしもそうではありません。
法解釈で検事長の定年を延長したことは大問題であり、ゆえにそれを合法化するために後出しジャンケンで出してきた法案など論外である!と反対するのは一つの理だとは思います。
ただ一方で、内閣(行政府)がその権限で法解釈変更を行った後、それを法律化・明文化するために国会(立法府)に図るというのは、三権分立や民主主義の観点からはむしろ望ましいプロセスであると解釈することもできます。
そのまま行政府に強引な法解釈を続けさせるより、法案化するために審議をして白黒をつける方がよっぽど健全じゃないか、という考え方です。
私自身、当初は直感的に
「自分勝手な解釈をした後、お手盛りで出てきた法案に賛成などできるかー!」
と考えましたが、行政府による法解釈変更→立法府の審議を経て法改正というのもありえるなと思い返しているところです。
手続きさえきちんとしていれば。
き ち ん と し て い れ ば 。
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そう、それが次の「手続き論(審議のプロセス)」につながってくるのです。
今回の法改正案は、国家公務員法などと「抱合せ」のセットもので内閣府委員会に提出されており(束ね法案)、検察庁を所管する法務委員会では審議すらしないという杜撰極まりないものになっています。
ここが、私がもっとも重きを置くポイントです。
法解釈変更で乗り切った案件を、合法化するために立法府に提出してきた。それならば、十二分に立法府で審議をするのは避けて通れない必要不可欠なことです。
にもかかわらず、検察庁を所管する委員会で審議することすらなく、法務大臣が答弁することすらなく法案を通そうとしている。
このいわば「経緯論+手続き論」のあわせ技一本こそが、私が党内で本改正案にこのまま賛成するべきではないと主張している最大の理由だと言えます。
維新「世論の反発強い」 検察庁法案の審議分離を要請(NHKニュース)
こうした点を昨日の政策調査会の議論で述べさせていただいたところ、党としても正式なアクションを起こして下さり、感謝に耐えません。
政府与党はこれを重く受け止め、早急に検察庁法改正案の切り離し・法務委員会での審議を決断いただきたいと思います。
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では最後の「政策面」はどうなのか?これも実は、経緯論や手続き論と完全分離をすることが困難であると感じています。
本改正案の政策論点一つは、「内閣はどこまで検察の人事権に影響力を持つべきか」という点です。
政治家を追及できる唯一の機関である検察はその特殊な立ち位置から、一定の独立性が保たれるべきです。
一方、では民主主義国家において、選挙というプロセスを通じて選ばれた内閣以外に誰が(どこが)その人事権を振るうのか?
検察の独立性が高ければ高いで、また様々な不都合が生じてくることになります。「検察改革」を行うのには政治力が必要で、その政治力を担保するのは民主的なプロセスです。
これはバランスの問題であり、まさに正解のない政治的な問いと言えます。
結論から言うと、私は「民主的に選ばれた内閣が、人事権で検察に一定の影響力を発揮する」ことには肯定的です。
この点、吉村府知事・維新副代表のおっしゃる通りだと思います。
吉村知事、検察庁法案改正反対の声は「あるべき姿」も「人事権は内閣が持つべき」(デイリースポーツ)
そして今回の改正案で認められる「個別の定年延長」についても、それによってどこまで内閣の影響力が強まるかは議論の分かれるところであり、絶対的な正解はないでしょう。
私は「解任権」を内閣が濫用しない限り、検察・検事の独自性は保たれ、この定年延長もギリギリ容認できるのではないかと考えています。
ところがここでも、私の心には「経緯論」と「手続き論」が立ちふさがります。
検察の人事に内閣が影響力を行使したり、定年延長をコントロールすることを容認するとしても、じゃあこんな杜撰な決め方をしてくる内閣にそれを任せたいかと言われると、その答えは「No」です。
以上の理由から、純政策的には法案に賛成できるとしても、やはり「総合的」に考れば賛成しがたいという考えに至るわけですね。
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いずれにしても、世論の強い反発もあってか、とりあえず明日13日にも行われる予定だった衆院での(強行?)採決は見送られました。
最終的な法案への賛否は政府与党の対応を見ながら、党役員会が判断していくことになると存じますが、政府与党に置かれては政策論(法案内容)と密接不可分である「経緯論」「手続き論」をぜひとも見直していただきたく、私個人としても強く要望をして参ります。
それでは、また明日。
編集部より:この記事は、参議院議員、音喜多駿氏(東京選挙区、日本維新の会)のブログ2020年5月12日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は音喜多駿ブログをご覧ください。