私がアゴラに書いている原稿のうち新型コロナウイルスについて書いたものをまとめて再編成、加筆し『日本人がコロナ戦争の勝者となる条件 』(ワニブックス)という本にまとめて緊急出版することにした。まだ手直しを続けているが、6月17日には発売できるはずで予約も始まっている。
現時点の状況を踏まえて書き直しているところもあるが、あえて、アゴラに書いた時点の状況認識をそのまま残した部分もある。ただし、全般的にみてそんなに見通しを誤ったことはない。
それから、アゴラに載せる記事はFacebooに書いた記事を元にしている場合も多いが、さらにアゴラの記事をFacebookにリンクして意見を求めているので、その意見も採り入れてある。その意味で、「Facebook⇄アゴラ⇄ワニブックスの本」という形で相乗作用ができている。
そのなかで、今回は、全体の趣旨を書いた「まえがき」の内容を短縮して紹介しておく。現時点において、コロナ騒動をどう捉えるべきかという私なりの総括の一部である(まえがきとあとがきが本来はワンセットなので)
『禍を転じて福と成す』、『新型コロナは千載一遇のチャンスだ』という気持ちを持つ者こそがコロナ戦争の勝者となる」
新型コロナウイルスの感染爆発が始まった当初から、私はそう言ってきました。
それに対して、「不謹慎だ」とか「感染が広がっている戦いの最中に言うのはやめて、一段落してからにしたら?」という人もいました。
しかし、歴史家としていわせてもらえば、一刻も早く〝戦後〟を構想し、嬉々として青写真を描いた者だけが真の勝者となれるのは自明の理です。
あらゆる災難や不幸は、打撃であると同時にチャンスでもあります。関東大震災の時に復興の先頭に立った後藤新平は、これを「千載一遇のチャンスだ」といって復興に臨み、見事な帝都復興事業を成し遂げたのです。
第二次世界大戦の終了から70年余り、世界は長い平和と繁栄を享受して数々の試練を国威服してきました。 しかし、今回の新型コロナウイルス禍はこれまでのものとは様子が違います。
新型コロナウイルスの蔓延は世界の人々の命を脅かし、人々の国境を越えた動きもほとんど停止させ、経済をズタズタにしました。東京五輪2020の延期は、近代五輪が1896年にアテネで開始されてから、二度の世界大戦でしか中止や延期をされたことがないだけに、その重大性が世界大戦並みであることを象徴しています。
世界の人類は、この戦争に勝たなくてはなりません。「勝つ」とは、第一義的にはできるだけ被害を小さく、かつ早く終わらせることです。
しかし、戦争に勝った者が本当に「勝利者」なのかは微妙なところです。例えば、「新型コロナとの戦いは戦争である」、「戦争の時に財政のことなど語るな」という人がこの頃増えてきました。
そう言う人が引用したがるのは、サッチャーの言葉です。サッチャー首相は1982年のフォークランド戦争の時にはあえて財務大臣を関係閣僚会議(戦時内閣)に入れず、「財政上の理由のために(国家を)危うくしようという気には決してならなかった」と振り返っています。
しかし、逆に、実際に財政を考えずに戦争して国が滅んでしまった例などいくらでも挙げることができます。例えば、フレンチ・インディアン戦争(1755年―1763年)ではイギリスがアメリカの植民地と手を組んでフランスに勝ったものの、イギリスが立て替えた負担をどうするかで植民地と内輪もめに。植民地が反乱したのを今度はフランスが後押しし、結果としてアメリカの独立(1776年)ということになってしまいました。
しかし、当のフランスはこの戦争でお金を使い過ぎてしまい、増税によって財政の健全化を図ろうとしました。しかし、民衆の抵抗に遭ってしまい、これを機に大革命が起きてブルボン王朝は滅亡するのです(1792年)。
東アジアの歴史においても、豊臣秀吉の起こした「文禄・慶長の役」で、明軍は秀吉の死で何とか敗北を免れましたが、この戦争での財政赤字を埋めきれずに満州族の清に滅ぼされました。
また、第二次世界大戦においては日本やドイツは敗北し、国土は爆撃で破壊されましたが、焼け野原に工場を建て、最新の方式を採り入れて工業国となった一方、勝ったはずの英米仏は旧式のままにとどまり、やがて経済力は逆転しました。
今回、日本人はいくら借金をしてもいいと誤解されがちなMMT理論など奇抜な財政理論に毒されたのか、与野党あげてバラマキに狂奔しました。
それでも、5月27日に閣議決定された第二次補正予算は、持続化給付金や家賃補助の充実、学生対策など、少しやり過ぎではありますが的確に困っている人に手を差し伸べるものですし、マイナンバーカード発行の迅速化など前向きな内容も織り込まれています。
しかし、気になるのは、若い政治家の方がベテランに比べても、将来の負担増大につながる国債増発に甘かったり、思い切った改革断行に後ろ向きなことで、未来の世代の代表としていかがなものかと心配です。
こうした騒動は、異常事態が起きた時にそれぞれの国のシステムがうまく動くのかどうかのストレス・テストになってきたという側面がありますが、戦後日本は長い平和の中で、さまざまな面で現代社会に求められるべきストレス・テストは受けることを免れてきたのです。
それが、今回のコロナ禍でさまざまな問題が露呈することとなった原因です。いや、これはむしろ幸いだったかもしれません。なぜなら、国家が崩壊するほどではない範囲で、リスク管理におけるさまざまな課題が明らかになったのですから。浮かび上がった問題点を、元に戻すよりひとつひとつ修正して再建すべきなのです。
仮にこの新型コロナが夏までにいったん収束したとしても、また新たな感染の波がやってくるかもしれません。その時までまだ数カ月あるとすれば、いまから動き出さないと間に合わないでしょう。
今回の新型ウイルス騒ぎを日本人は災難としか受け取っていませんが、中国などでは社短期的には中国の打撃は大きいことは間違いないですが、中長期的に見ると勝者は中国で、日本は敗者になりかねません。
今回のコロナ騒動では、台湾は当初から模範的で称賛を浴びました。韓国は、当初は大失敗でしたが、地獄から這い上がって、最初から無理せずに失敗を避けて上手に乗り切った日本より皮肉なことに世界から評価されたりしてます。
ただ、中国・台湾・韓国は、いずれも世界に冠たる先進的IT社会であり、電子政府化が進む一方、厳しい国民監視国家ですが、今回はそれがよい方向で役に立ちました。それに対して、日本はこの方面の劣等生であり、今回はそのつけを払う羽目になりました。
医療も、日本は平均寿命だけは主要国で一位ですが、異常事態にはスピード感ある対応ができないこともわかりました。
そんな中で、真剣勝負で政府も国民も何を目指すべきかを論じたのが本書です。
序章 変革への千載一遇のチャンス
第一章 激動の半年を振り返る(2019年~20年)
第二章 中国・武漢での奇病発生
第三章 対コロナの医療体制をめぐる議論
第四章 活動の自粛、休校、そしてマスク
第五章 ヨーロッパ、アメリカはコロナでどうなる?
第六章 日本よ、いまこそ変革のチャンスだ
第七章 「韓国を見習え」は正しいのか?
第八章 知事・市長の通信簿