予算執行の柔軟性や迅速性、臨機応変性を保証するために、ある程度の予備費を計上しておくことの合理性を否定される方はいないと思う。
安倍内閣に対する国民の信頼が高いときであれば、予備費の額が10兆円になっても、日本の経済の失速を防ぎ、国民の生活を守るためには止むを得ないかも知れないな、と思われる方が多いだろうと思うが、さて、現時点で安倍内閣に対する国民の信頼度はどの程度だろうか。
どの世論調査を見ても、支持する人よりも支持しない人が多いようだから、現時点での安倍内閣に対する信頼度は相当低そうである。
そういう状況の下で、10兆円もの予備費の支出権限を内閣に認めることが出来るかどうか、という問題である。
国民の監視が十分に行き届かない状況の下で何が起きるか、ということは、これまで散々私たちが目にしてきたことである。
財政規律の維持に極めて厳格な人がトップに座っていれば、金額がいくら大きくても支出そのものは結構適正に行われるものであるが、トップに座る人の目が節穴で、行政の隅々にまで目が行き届かないような、いわゆるお殿様であると、実務に長けた側用人たちが適当なことをやってしまいがちだ、ということは、古今東西を問わない事実だろう。
最近は、公務員としての規律も大分怪しくなっている人が目立つ。
公文書の作成や公文書の保管状況などもかなり怪しくなっている。
公文書の公開制度が適正に運用されていれば、将来の文書公開を恐れて、どこから見ても非の打ち所がないような行政執行、予算執行がなされるはずだ、と一応は信用してもいいはずだが、最近露見し始めている様々な事象に鑑みるとどうも不信の念を一掃することは出来そうにもない。
信用できないから、予備費の額を削ったらいいんじゃないか、という考えもあるだろうが、どうやらこの問題の根はもっと深い。
まあ、大方の人は既にお気付きだろうが…。
編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2020年6月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。