「8割おじさん」の愛称を持つ、厚労省クラスター対策班の西浦博氏は、4月15日に突然「42万人死亡説」をマスコミに発表して、日本人に大きな衝撃を与えました。このまま何の対策もしなければ、新型コロナで最大42万人が死亡するというのです。幸いなことに、現在までの死亡者は900人余りで、予測は大きく外れました。
【なぜ8割の行動制限が必要なのか】
北海道大学 西浦 博より解説します。
行動制限する人(p)の割合を、欧米の例を参考にR0(基本再生産数)と Re (実効再生産数)から導き出すと6割です。
なぜ8割としたかを解説しています。#新型コロナクラスター対策ゼミ pic.twitter.com/I6uRw4u6ri
— 新型コロナクラスター対策専門家 (@ClusterJapan) April 7, 2020
彼のショッキングな発表はこれだけではありません。主なものだけでも、
・4月2日の「8万人が感染」
・6月2日の「感染者毎日10人の入国で3か月後に大流行」
・6月19日の「9.5万人が入院」
があります。
しかし、いずれも西浦氏の予想した事態は実現せず、誰もが胸をなでおろしたのは記憶に新しいところです。
彼の一連のマスコミへの発表で、特に批判が集中したのは、
1. 政治的に動きすぎる
2. 予測した数値が大はずれ
3. 根拠を公開しようとしない
という点です。
1回だけならともかく、これだけ同じようなことが繰り返されると、単なるミスではなく何か理由があると言わざるを得ません。
西浦氏の「8割は人にうつさない」論文の疑問点
そういう疑問を抱くようになったある日、ネットでたまたま「8割は人にうつさない」は嘘?というブログ記事を見つけました。この記事には、厚労省クラスター班が発足した2月25日の直後に、西浦氏らが執筆した査読前論文(プレプリント)が紹介されています*1。公開日が3月3日と異例に早いのは、新型コロナの論文なのでスピード審査がされたためと思われます。
限られた時間で執筆したせいか、西浦氏のこの論文は分量は少なめですし、難しい数式も出てこないので、時間がある方はぜひ一読をお勧めします。
興味津々で読んでみたところ、いくつかの衝撃的な事実を発見しました。前出のブログでも、
「これをダウンロードして読んでみたのだが……いや、これはちょっと衝撃的である。まともな学術論文としての内容をほとんど備えていない。」
「データについても分析法についても説明がない。これでは何が何だかわからないではないか。」
と不満を打ち明けています。
ここでは、論文の内容を簡単に紹介し、その後に疑問点を指摘することにします。
一番のポイントは、新型コロナウイルス感染者が「8割は人にうつさない」や「3密の回避」は、この論文が最重要な根拠とされていることです。たとえば、以前の厚労省のサイトには、「新型コロナウイルスに関するQ&A(一般の方向け)」として次のようにありました*2。
しかし、よく見るとこのグラフは謎だらけです。
110例(人)の分布から実際の数字を読み取ってみることにします。1人の1次感染者が生み出した2次感染者数は、12人が1件、9人が1件、4人が1件、3人が4件(計12人)、2人が4件(計8人)、1人が16件(16人)なので、合計61人のようです。つまり、110人の1次感染者が、たった61人の2次感染者しか生み出さないことなります。再生産数Rを試算してみると、2次感染者61人÷1次感染者110人=0.55 になるので、警戒値とされる1を大きく下回ります。
この数字が正しいとするなら、1人の1次感染者は平均すると0.55人の2次感染者を生み出すことになります。この0.55人の2次感染者は0.55×0.55=0.3人の3次感染者を生み出し…と時間が経つにつれて人数は急激に減少し、新型コロナは何もしなくとも自然に収束することになります。
そうだとするなら、「3密の回避」も「緊急事態宣言」もまったく不要で、「42万人死亡説」はあり得ないはずです。
なぜ、こんな単純ミスを誰も指摘しなかったのかは謎というしかありません。
元データに致命的な欠陥があったのか
さらに衝撃的なのは、元データに致命的な欠陥があったらしいことです…。
論文では、元データでは2月26日閲覧した厚労省のサイトだとして、次のように紹介されています。
しかし、このURLは変更されてしまったらしく、残念ながらデータを発見できませんでした。そこで、代わりに2月26日付の厚労省の報道発表「新型コロナウイルス感染症の現在の状況と厚生労働省の対応について(令和2年2月26日版)」の数字を調べてみました。
国内の状況は次のようにあります。
この発表によると、PCR検査陽性者のうち有症状者は136人ですから、110人とは微妙に数字が合いません。論文の性格から考えると、非常に限られた時間で執筆されたものなので、その点はやむを得ないと思います。なお、データの詳細は別添1にあるとのことなので、こちらも調べてみました。
驚くべきことに、国内事例として報告されている136人のうち、周囲の患者の発生は49人が「不明・調査中」、濃厚接触者の状況に至っては、なんと99人が「調査中」となっています。つまり、この論文のグラフの説明「8割は人にうつさない」は極めて根拠に乏しく、現実にはこれらの大部分が「不明・調査中」なのではないかと思われます。
もし、西浦氏らの「厚労省クラスター対策班」が本当にこのデータに基づいて論文を書いたとしたら、ちょっとしたスキャンダルというしかありません*3。仮にそうだとすると、最初に書いた、
1. 政治的に動きすぎる
2. 予測した数値が大はずれ
3. 根拠を公開しようとしない
は、たまたま偶然で起こった出来事ではなく、最初から最後までそうだったと言うしかないでしょう。非常に残念な結果になってしまいました。
*1 6月27日までに正式な論文として公開されていないようなので、現在は審査中なのだと思われます。
*2 6月27日の厚労省のサイトでは削除されていたため、画像は国立保健医療科学院のサイトのもの。注意書きとして「参照元URL: 新型コロナウイルスに関するQ&A(一般の方向け)
*3 感染から発症と確定するまでには通常2週間程度かかるので、2月26日までの限られたデータで「8割は人にうつさない」と結論づけるのは困難だと思います。