「白人イエス」像は白人支配の象徴?

長谷川 良

2000年前のイエスの肌は白色だったか、褐色だったか、それとも黒色だったか。救世主イエスの肌の色はどのような意味合いがあったか。もう少し哲学的に表現すれば、「イエスのアイデンティティは肌の色とどのような関りがあったか」だ。

「十字架のイエス」(2013年3月31日、バチカンの復活祭)

新型コロナウイルスの感染で頭を痛めている時に、なぜ緊急とは思えないテーマを取り上げるのか、といわれるかもしれない。緊急テーマではないことは明らかだが、重要なテーマでないとはいえない。イエス・キリストはとにかく人類の救いのために降臨し、人類の罪を背負って十字架にかかった人物だ。そのイエスの肌の色はサイドテーマとはいえ、無視できない。

多分、「 Black Lives Matter 」(黒人の命は大切)運動を支援する米国の作家、政治活動家ショーン・キング氏(Shaun King)もそのように考えているのではないか。一時、牧師でもあった同氏(40)は白人欧州人のイエス像に挑戦状を突きつけ、教会で白人イエスの像、絵画、ステンドグラス画があれば、取り外すべきだと主張し、多くの反響を呼んでいる。

奇妙なことに、同氏自身は白人のようだが、「自分の父親は白人ではない」と白人であることを忌み嫌っていた人物だ。同氏曰く「キリスト教の白人は常に危険だった」と述べている。過去の白人の蛮行への贖罪意識がキング氏を白人嫌いにさせているのだろうか。同氏は社会運動に積極的であり、大統領選ではバーニー・サンダース上院議員を支持してきた。

同氏はツイッターで、「イエスを白人欧州人と表現した像、絵画、ステンドグラスは外すべきだ。それらは白人支配のシンボルだからだ」と発信し、白人欧州人のイエスのアイデンティに疑いを呈している。

それなりの理由はある。イエスの家族ヨセフとマリアは赤子イエスを抱え、エジプトにいき、そこで身を隠した。イエスは白人社会の、たとえば、デンマークに逃避してはいない。すなわち、身を隠すためには自分と同じ肌のエジプト人社会のほうがいいからだ。デンマークに逃げれば、肌の色から直ぐに逃亡者だと分かる危険性が出てくる。だから、イエスは白人ではなく、エジプト人と同様、褐色だったと考えるべきだ。それをイエスは白人イエスだったと主張し、その像や絵画を飾ることは明らかにプロパガンダだというわけだ。

同氏の主張に対し、「イエスは人種、民族、国家の枠を超えた存在だ。イエスは過去、黒人イエス、白人イエス、黄色イエスといった様々な肌のカラーで描かれてきた。それを白人イエスは白人支配のシンボルだから排除すべきだというのは人種差別を意味する」と反論する声が聞かれる。

当方は昔、「イエスの血液型はB型だった」(「イエスの血液型は『B型』だ」(2015年4月8日参考)と書き、多くの反発を受けた苦い経験があるので、イエスの肌の色については慎重にならざるを得ない。というより、イエスが黒人であろうが、白人であろうが、どうでもいい。人間としてベツレヘムで生まれた以上、イエスの肌はその周辺の民族の肌の色だったと考えるのが自然だ。だからといって、「白人イエス」は事実ではないとキング牧師のように声を大にして叫ぶ必要があるだろうか。

参考までに、当方は過去、白人イエス像ではなく、イエスを十字架から解放しなければならないと主張した。キング氏とは別の理由だ。「イエスを十字架から降ろすべきだ」というテーマはイエスの十字架による救済論と関係がある。換言すれば、イエスの十字架信仰で「果たして人々は罪から解放され、救われたのか」という実証的な問いかけだ。もちろん、「なぜイエスは再び降臨すると約束されたか」というイエス再臨問題も出てくる。

キリスト教関係者にとって、このテーマは信仰の核に触れるだけに、「イエスを十字架から解放すべきだ」と主張すれば、十字架信仰が完全に否定されたように感じ、敬虔な信者なら怒りが飛び出すのは必至だ。このテーマに関心がある読者は「イエスを十字架から降ろそう」(2017年12月14日参考)を再読して頂きたい。

キング氏の「白人イエス像」の否定について、もう少し考えたい。旧約聖書の創世記を開いてほしい。「神は自身の似姿に人を作った。すなわち、男と女を創造した」という。神が男性と女性の2性を有する存在であることが分かる。同時に、神は人間を白人、褐色人、黒人とわけて創造したとは記述されていないところを見ると、神は創造の段階では人間の肌の色には余り拘っていないことが分かる。それに拘り出したのは、「エデンの園」から追放された人類であって、神は一度として肌の色ゆえに、何かを決めたとか、したということはない。

だから、欧州の白人イエス像は事実ではないと批判するより、なぜイエスは十字架に架かって33歳の若さで亡くなったかを考えるほうが賢明ではないか。キング氏の白人イエス像否定論は神が拘っていない人間の肌の色に拘り過ぎている。

白人のイエス像は受け入れないという論理は、これまで黒人を社会から排除してきた欧米社会と同じ論理、肌の色で人を判断する危険思想にも通じる。グローバリゼーションを支持し、社会の多様性を称賛する一方、なぜ肌の色の多様性を当然のこととして受け入れないのだろうか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年6月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。