香港問題:環球時報の社説に見る、米国の制裁に対する北京の希望的観測

高橋 克己

6月30日に施行された「香港国家安全維持法」(以下、「安全法」)が、翌日の香港返還23周年に早速その鋭い牙を剥いた。抗議者370名が逮捕され、数名が同法違反で起訴されたのだ。雨傘運動の若き指導者らは運動から離れ、一部は米国へ去った。

ポンペオ国務長官は、同法に関わった中国共産党幹部らのビザ発給を停止するなど「香港人権民主主義法」(以下、「人権法」)による制裁の一部を発動した。が、北京や西側(メディアや識者)が米国の制裁の効果をどう見るかは、香港の抗議デモ次第の憾みもあり、決して一様でない。

中国共産党の機関紙「人民日報」系列メディアの「環球時報」は7月1日の社説「ワシントンは香港で孤立するで、欧州は「香港の高度な自治と民主主義を破壊すべきでないと強調」したが、「安全法」に過度な疑問を呈さず制裁も表明していない、西側以外で同法を非難した国はなく、大半が理解を表明していると書き、米国の孤立を強調する。

さらに、香港の「一国二制度」を「一国一制度」に変えたとのポンペオの非難は、香港には「安全法」が必要と理解している国際社会の判断に反し、世界中がワシントンを「政治バカ(moron)」と見做すだけで、中国を孤立させようとしながら米国自体を孤立させている、とも主張する。

だがこの主張は、6月19日に欧州議会が、「安全法」を「中英共同宣言や市民的・政治的権利に関する国際規約に違反」するとして、中国政府を国際司法裁判所に提訴することの検討をEUや加盟国に求めた決議や、同法を9月の中国・EU首脳会議の優先議題にと要請したことに頬被りしている。

また6月30日の国連人権委員会での日英独仏など西側27ヵ国による、「安全法」は「一国二制度を弱体化させる」との懸念の声明も無視している。が、北京にとって、制裁を伴わない国際司法裁判所への提訴や国連人権員会の声明など「屁でもない」という訳だ。

思えば4年前の7月、国際法に違反した中国の南シナ海での岩礁埋め立てを、フィリピンが国際司法裁判所に訴えた裁判の判決が出た。が、中国はその敗訴判決を「紙くず」と歯牙にも掛けなかった。北京には敗訴判決や非難声明などないも同然なのだ。

新華社は7月1日、キューバが52ヵ国を代表して、中国による香港への「安全法」施行を歓迎」との記事を載せた。王毅外相が28~29日に、例のテドロスのエチオピアやエジプトなどの外相と電話で会談し、中国支持の言質を取っていたという。が、これを報じる神経にも呆れる。

環球時報は、7月2日の社説「米国は自らの犠牲で香港にどれほど損害を与えようとしているか」では、冒頭で米国下院が1日に「香港自治法」(以下、「自治法」)を可決したことを書き、続けて現下の米国の問題は「自国の利益を犠牲にしてまで、香港と中国本土を破壊しようとしている」ことと指摘する。

確かに、香港の優遇を外す「人権法」は、香港と北京に損害を及ぼす一方、米国や諸外国にも副作用がある。が、同社説が「香港の自治を制限する個人、団体、金融機関に制裁を科す」と書く「自治法」は北京関係者らだけに効く。「自治法」に重点を置かない理由は何か。

同社説は次に、英国が香港人の移民権を拡大したことに関し、Brexitの理由の一つは「英国社会の移民に対する抵抗感」にあり、「英国は香港の居住者を受け入れるフリをする」だけだと腐し、英国は制裁までは考えていないと、UKUSA協定(米国・英国・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド5カ国のファイブアイズのベースである、米英シギントの相互利用協定)の分断を試みる。

さらに中国制裁を強く要求している国は米国だけで、「欧米メディアが報じているように、米国には、中国にだけ損害を及ぼすだけの行動や、米国よりも中国に損害を及ぼす行動を思いつくことは困難」と「自治法」を忘れたかのように結論する。

確かに、西側メディアも、同社説が「関税の本土並み引上げや香港ドルの米ドルペッグ制外しも可能だが、それは米国の対香港貿易黒字を失わせ、世界の通貨としての米ドルの地位に打撃になる」とするのと同じく「人権法」を前提に、米国は強い制裁に出られないとする論調が少なくない。

例えば6月1日の日本総研リサーチ・アイは、「香港の外国籍企業の15%を占める米系企業へのマイナス影響を考えると、厳しい制裁などは困難」とし、「米株式市場から撤退する中国企業が香港を選択する動きも支えに」なるので、「国際金融センターとしての大幅な地位低下の公算は小 」とする。

7月2日のロイターも、「安全法」の施行で、香港市場に上場する中国企業が増え、本土からの資金流入が拡大するとの期待から、香港のトレーディングルームでは、中国による香港包囲に投資家らが拍手を送っているなどと書く。

環球時報の言い分をまとめると、西側の非難はあるが、実際に制裁にまで及ぶのは米国だけで、米国は孤立している。その制裁も、香港と中国のみならず米国自身にも損害が及ぶうえ、香港市場の穴埋めは本土資金で可能だ。やれるものならやってみろ、というもの。

確かに「人権法」に基づく制裁のうち、関税の優遇外しは、①香港の輸出に占める対米輸出は7.7%(19年)と小さい、②対米輸出の約8割が既に中国原産品扱い、③香港原産品の対米輸出は全体の0.1%と極小、なので香港経済への影響は大きくない。みずほインサイト アジア 2020年 6月19日

だが、さらに強い制裁、すなわち米ドルと香港ドルの自由兌換停止や香港金融管理局(HKMA)の米ドル調達阻害ならどうなるか。香港の市中銀行は米ドルと香港ドルの交換不可となり、ドルペッグ制の維持が困難となるため、香港の国際金融ハブとしての機能はほぼ停止する。(みずほインサイト)

その場合、香港と香港を外貨調達窓口にする中国に打撃となるだけでなく、米ドルの価値低下や香港ドル資産を持つ企業が危機に陥るなど、米国と米国企業を含む在香港外資系企業への影響も甚大だ(みずほインサイト)。なので、米国はそこまで踏み込むまい、と北京も西側も見ているのだろう。

しかし、これらの議論はデモの拡大と米国の制裁をリンクさせて論じ、正義がない。悪法だからこそ施行されれば香港人は動けない。誰も死ぬまで大陸の牢獄に居たくはない。だが、デモがなければ制裁は不要か? そうではあるまい。「安全法」の施行自体を制裁せねば北京の思う壺だ

だから「人権法」と違って北京にだけ効く「自治法」が必要なのだ。だからこそ米国は急いでいる。先月25日に上院を通過し、下院の修正を経て既に上院を再通過した。しかも全会一致。今週に大統領が署名すれば10日余りで施行だ。そのスピードは全人代での「安全法」採択を凌ぐ。

起草したバンホーレン上院議員がいうように、「自治法」は北京にとって「痛い」のだ。トランプが署名した暁の環球時報は、果たしてどんな社説を載せるだろうか。