河井起訴で政治の口先に負ける新聞の筆先

中村 仁

任命責任とは何かも言わず

国会議員の河井夫妻が選挙違反事件で起訴され、法廷で裁かれることになりました。歯がゆいのは、口先だけの政治ばかりでなく、筆先だけのマスコミです。有権者はいらついています。

法務省サイト、官邸サイトより

安倍首相は「前法相の任命責任を痛感する」「説明責任を果たしていく」といい、マスコミは「任命責任を問う」「首相や自民側は説明責任を果たせ」と、批判しています。なんど、同じような展開をみてきたことでしょうか。事態は何も動かないのです。

自民党から振り込まれた破格の資金1億5千万円に、党内からは批判の声が聞かれるのに、解明に至る自浄作用に乗り出す動きはありません。民間企業で使途のはっきりしないカネの流れがあった場合、第三者委員会を設け調査報告書をまとめるのが普通です。

民間では当然のことを、政界には期待できません。日本で最も遅れた特殊な原理が働いているのが自民党政治です。政治系の記者たちもこの世界に同居しているようです。首相が口にする任命責任の果たし方が具体的には、なになのかはっきり指摘しません。「責任をとって退陣せよ」なのか、民間企業のような「減俸減給」「降格」なのかはっきりしない。

低下しているマスコミの取材力は、コロナ危機の「3密」対策で取材源の接近、開拓がさらに難しくなっているのでしょう。その結果、筆先だけの追及に終わっている。

朝日新聞の社説は「首相は疑念に応えよ」と、主張します。「政権が異例のテコ入れをした選挙戦。公判での真相解明と併せ、首相や自民党の説明責任が厳しく問われる。首相が率先して疑念に応えることだ」と、まとな指摘です。これでは「もっともだ」「もっともだ」で終わりです。そんなことをしないことは分かりきっているのに、そう書く。

毎日新聞は「党は1.5億円の経緯説明を」と題して「解明されるべきは政権や自民党の関与である」と、もっともな主張です。検察は「党本部の資金は入金時点で支部の残高と混ざったため、違法なカネの原資であるかどうかの特定は難しい」(日経)と、消極的なようです。毎日のいうように「解明されるべき」とは、誰が解明するのか。新聞がやってみたらどうなのか。

読売新聞の社説は首相責任にまったく触れず、末尾にごく簡単に「河井容疑者に提供された資金は、どこから捻出したのか。党本部からの1.5億円との関連性も解明してもらいたい」と、取ってつけたような指摘です。ここでも、誰が解明するのかです。調査報道をしたらどうでしょう。

産経は「政治とカネに、決別を図れ」のタイトルです。そんなに簡単に「決別」できる話ではない。「破格の支出の意図と使い道について、自民党が詳細に説明するのが筋である」とも主張します。「詳細に説明」なんかするものですか。もっともらしすぎることは書いてほしくない。

筆先だけの正論を唱えておけば、新聞の責任が果せると、思いこむ時代になってしまったようです。「身内だけの調査は信頼できない。第三者委員会を設け、調査せよ」とか「党執行部に異論を持つ議員は立ち上がれ」とかいうほうがよほど、もっともらしい。

新聞は取材力を生かしてみたどうか。党執行部が「地盤培養のために、広報誌を作成し、配布した」というのなら、その広報誌を入手し、一部何円で、何部配布し、いくらかかったかを推定するとか、やりようがあるでしょう。

党からの資金供与にしても、執行部がどのような手順で、誰の責任で決めているのか、取材して解説を書いてみるとか、できないのでしょうか。読売が社説で「河井容疑者の資金と自民党からの1.5億円との関連性も解明してもらいたい」と唱えるくらいなら、現場の記者が取材力を生かして、解明してみたらどうなのでしょうか。

安倍政権の支持率が下落を続けているのに、野党の支持率は上がらず、自民党の活性化のチャンスが訪れたのに、次の総裁候補に名前が浮上する人たちの動きが感じられない。世襲議員ばかりが幅を利かせ、競争原理が働かず、党内が淀んでいます。新聞は「党の活性化のために、彼らは声を挙げよ」くらいのことをなぜ主張しないのか、残念でなりません。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2020年7月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。