日経の連載記事「『ネット興亡記』に学ぶサバイバル術 」に「ホリエモンに嫉妬 サイバー藤田氏の『開き直る力』」という記事が出ています。サイバーエージェントの藤田晋氏と堀江貴文氏は同世代でITバブルの頃にやんちゃしたという意味で面白い組み合わせです。
藤田氏は私と同じ大学ですし、彼の半自叙伝は読ませて頂いています。堀江氏の書籍はずいぶん読んだし、彼とは今年、お会いして長時間、お話させて頂きました。藤田氏とはお会いして話してみたい人ですね。
2人ともチャレンジ精神が旺盛なのでしょう。そしてやんちゃ。つまり、履歴書的にも社会人活動的にも丸の内のエリートサラリーマンからは程遠いのです。上記の日経の記事に藤田氏が「平凡な人生が嫌で、何でもいいから何者かになりたかった」とあります。堀江氏の人生も同様です。
なにが平凡なのでしょうか?例えばスマホゲームを延々とやってしまう、テレビをだらだら見る、夜の街で実りのないしょうものないトークで盛り上がる、お金のために仕事をしているから効率ややる気が上がらず、土日は寝てばかりいる…枚挙にいとまがありません。
人生のスイッチを入れる、これができるかできないかでその人の一生は大きく変わるでしょう。私はスイッチを入れている人が好きです。だから周りには普通の方は少ないかもしれません。サラリーマンの友人は少ないと思います。きっとその方々はバンクーバーなら土日はゴルフに忙しいでしょう。しかし、私にとっては土日をいかにフル回転させるかが勝負どころだと思っています。
私がいつか起業しようと思ったきっかけはゼネコンに入って宅地造成の現場に配属になり、1週間もたたないうちでした。現場所長から「お前は事務系だから現場の母になれ。野球でいうならキャッチャーだ」と言われた瞬間、心の中で俺はウルトラの父になる、ピッチャーで奪三振王を取ってやるとメラメラと燃えたのです。ある意味、気づきを与えてくれて感謝しています。
それから20年もその会社に世話になったわけですが、私ほどユニークなポジションを経験したサラリーマンはそうはいないと思います。自分でいうのもなんですが、特別の中の特別だったと思います。
現場時代では社長賞を何度か受賞し、不動産事業本部では本社代表の宅建主任者として本社玄関に自分の名を飾ってもらいながら会社のオーナー、直属の部長と私の3人だけの特命係を命ぜられ、今では絶対にみてはいけない魑魅魍魎な世界を経験します。
その後、秘書となり、プライベートジェットで世界中を飛び回り、世界の大物、政治家などとの会食にずいぶん同席させて頂き、学ぶチャンスを頂く一方でM資金のことから社長と会長のバレンタインディのギフトリストとお返しをどうするかという簡単そうで実に面倒なタスクも頂きました。
バンクーバー赴任後、本社からの資金的支援が途絶え、孤立無援のほぼ起業状態での展開となりましたが、最終的には地元ではよく知られる著名プロジェクトとなりました。そういう意味では私のサラリーマン時代の20年は半ば起業家のようなポジションだったと思います。面白いことに20年で私の部下は通算でたった4人しかいません。課長職を12年もやったのにです。いかに特殊な立場だったかお分かりいただけると思います。
会社が大きくなると作業は分業になります。トップの実務作業も当然、少なくなります。私はそれが嫌なのです。細かいところを含め、業務がきちんとした方向に進んでいるか管理し続けないと気が済まないのです。
堀江氏と話をして思ったのは彼は様々な分野を本当によく知っていていることでしょうか?あれぐらい尽きない興味を持ち続けることが人間、ずっとシャープでいられるのだろうと思います。
藤田氏がアメーバブログで復活したのは彼の人生の第一章ですが、第二章に当たるアベマTVではまだまだ苦労しています。
ちなみにAmebaを逆さにするとAbemaになるのはご存知でしたか?彼の遊び心なんですが、彼のビジネス人生にとって対の関係ともいえるのでしょう。相変わらず赤字で流血しているけれどメディアの方向がいつか変わると信じているのだろうと思います。
上述の日経の記事に藤田氏が「長い時間軸でみれば自分の正しさは証明されるはず」と述べています。起業家には短期間で成功する人も多いのですが、打ち上げ花火で終わる方があまりにも多くいます。
私の周りにも一度は起業して成功したという方は結構いますが、二発目が上がらないのです。そういう点では藤田氏も堀江氏も息の長い起業家人生を送っています。私もそうでありたいと思い、「またやるの?」と言われながらも新規案件に取り組んでいます。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年7月12日の記事より転載させていただきました。