田原総一朗です。
「あの戦争を知っている人間たちが政治家である限り、日本は戦争をしない」。
僕が田中角栄にインタビューした際、田中がくり返し語っていた言葉だ。
僕は戦後の日本政治を取材し続けてきた。
田中角栄以後の歴代首相をはじめ、多くの政治家にも取材してきた。
先月、その集大成として、
『戦後日本政治の総括』(岩波書店)を上梓した。
吉田茂、岸信介、池田勇人、佐藤栄作ら、多くの政治家がどうやって、敗戦国日本を復興へと導き、また、日本が「戦争をしない国」であることを必死で守ってきたのか。
歴代政治家の肉声と隠れたエピソードを一冊にまとめた。
1951(昭和26)年、アメリカと対日講和条約を結び、日本は独立した。
同時に日米安全保障条約が締結されている。
実は、当時の吉田茂首相は、安保条約について、占領体制の延長であり、日本がアメリカの戦争に巻き込まれる恐れがあるため、徹底的に拒もうとしていたようだ。
すると、なんとアメリカは、昭和天皇に手を回した。
吉田は調印するしかなかった。
9月8日、サンフランシスコにおいて、対日講和条約は多くの出席者のもと締結されたが、日米安保条約はその後ひっそりと行われた。日本側は、吉田ただ一人調印にのぞんだのは、吉田のせめてもの抵抗だったのか。
1960(昭和35)年、その日米安保条約が改定された。
僕は当時、連日「安保反対デモ」に参加した。
しかし、実は、もともとの日米安保条約も、新安保条約の条文も、読んでいなかったのである。
僕だけでなく、ほとんどのデモ参加者、リーダーたちですら、読んでいなかった。
僕たちは、岸信介がA級戦犯であったこと、直前に提出された警察官職務執行法の改正案への反発もあり、
この改定が「改悪」だと信じ、「安保反対、岸退陣」と叫んでいたのだ。
しかし実は、この改定は、
「米軍の配備について日本と事前に協議する」
「日本が他国から攻撃されたときは日本を防衛する」
「安保条約に期限をつける」
という三点で合意しており、旧安保条約に比べると日本にとって確実に「改正」であったのだ。
僕は、ずっと後になって、この事実を知った。
宮澤喜一の話も忘れられない。
「私はね、日本人というのは、どうも自分の身体に合わせて洋服をつくるのは上手ではない。対して、
日本人は、押しつけられた洋服に身体を合わせるのは上手なようです」
宮澤はやわらかな口調で、こう言った。
はじめ私はなんのことだかわからなかったのだが、「押しつけられた洋服」とは、「日本国憲法」のことだった。
日本は戦後、軍隊を持てない憲法を逆手に取り、日本国憲法を押しつけたアメリカが日本の安全保障に責任を持つのは当然だとし、また冷戦時代の戦争に巻き込まれることも回避できた。
「あなたたちが押しつけた憲法があるから、日本は参戦できないんですよ」と。
だからこそ、安全保障はアメリカに任せ、経済復興に全力を注ぐことができたのだ。
「つまり、押しつけられた洋服に、上手に身体を合わせたわけです」
と、宮澤は微笑んだ。
令和という時代になり、戦争を知らない天皇が誕生した。
安倍晋三首相も、菅義偉官房長官もまた、戦争を知らない世代である。
戦争を知っている世代の政治家は、ごくわずかとなった。
しかし、田中角栄の預言を、決して裏返してはいけない。
つまり、「戦争を知らない政治家ばかりになったら、日本は戦争をする」という事態は、あの戦争を知っている世代として、是が非でも防がねばならないと考える。
そのために、この本が、少しでも役に立てばと心から願っている。
編集部より:このブログは「田原総一朗 公式ブログ」2020年7月17日の記事を転載させていただきました。転載を快諾いただいた田原氏、田原事務所に心より感謝いたします。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「田原総一朗 公式ブログ」をご覧ください。