安楽死に厳しく児童虐待死に甘い警察

法整備に及び腰の国会の責任

全身の筋肉が衰える「筋委縮性側索硬化症」(ALS)の女性患者に依頼をされ、薬物を投与して殺害したとして、2人の医師が嘱託殺人の容疑で逮捕されました。安楽死や尊厳死の法整備を国会が怠ってきたことも事件の背景にあります。これを機会に、安楽死に対する法的な考え方を明確にしてもらいたい。

逮捕された大久保愉一(左、クリニックHP)、山本直樹両容疑者(ツイッターより)

難病で生きる望みを失い、死を選択するしかないとの思いに至る人は、社会の高齢化が進み、末期がんの患者を含め、増えていきます。安楽死を合法化している国もある中で、日本は「人生の最終段階における終末期医療」のガイドライン(厚労省)という法的根拠が曖昧な対応ですませています。

患者と医師が相談の上、やむにやまれぬ選択をした場合、医師に過酷なペナルティーを課すべきではないと思います。安楽死、自殺介助、消極的安楽死、尊厳死、生命維持治療の中止などの法的な位置づけを明確にしたい。問題が起きたらもっぱら医療現場の責任を問うことを繰り返さないでほしい。

逮捕された医師は「安楽死外来をやりたい」「もうそろそろという方には、撤退戦をサポートする。そんな医者でありたい」「リビングウイルすら法制化できない国。政府、国会もバカ」と、ネットに投稿しています。確信犯めいており、まともな医者とは言えない面を持っています。

厳しく捜査するのは当然としても、医者ばかり責めても、問題は解決しません。嘱託殺人、殺害という言葉の持つ語感はきつく、自殺介助、自殺ほう助に近いのではないでしょうか。

安楽死の対極にあるのが、児童虐待死です。親にすがって生きていくしかない幼い命を、その親が虐待死させる。殺人罪に問うべきだと思えるのに、「死んでしまいました」とのイメージの保護者責任遺棄致死罪(児童虐待防止法)を適用しています。保護者責任遺棄殺人罪を設けて対処すべきです。

東京で3歳の女児がマンションの室内で8日間も放置されて死亡した事件で、母親(24)が遺棄致死罪で逮捕されたばかりです。「お菓子とお茶を置いていった」というものの、こんなことをすれば、死ぬのは分かっている。それが遺棄致死でなく、本来なら遺棄殺人です。甘いのです。

「これから生きていく」という児童を虐待死に追いやっても、死刑相当のはずなのに刑罰は軽い。一方、「もう延命治療は必要ない」と願っている終末期の患者、「生きる望みを失い、もう死を選択したい」という難病患者の安楽死になると、医師は厳しく責任を問われる。やっていることが逆です。

作家の橋田壽賀子さんが著書『安楽死で死なせて下さい』(文春新書)の中で、「本人が希望した場合、安楽死が選択肢のひとつとして、ごく自然にあったらいい」と、書いています。同感です。スイス、オランダなどの欧州、米国の州(6州)で安楽死は合法的に求められているそうです。

厳密には、スイスは自殺ほう助を合法化している。最期の瞬間は、処方された致死量の麻酔薬を自分で飲み下す。数分で眠りにつき、そのまま苦しむことなく、1時間くらいで呼吸が止まる。

…と。自分の意思と行為で死んでいくのだから、医師に責任はない。今回の京都市のALS患者の方は、自力で薬を飲めないから、医師が飲ませた自殺ほう助と解釈できないでしょうか。

「違法」の安楽死と「曖昧」な尊厳死

生命倫理学者の松田純氏は『安楽死と尊厳死の現在』(中公新書)で、安楽死を3分類しています。「狭義の安楽死」(医者が致死薬を注射して生命を終結させる)、「医師による自殺介助」(患者が自ら処方された致死薬を服用して死ぬ)、「消極的安楽死」(生命維持治療の中止)です。

日本では、安楽死は違法であるため、安楽死と区別して、生命維持治療の中止を「尊厳死」と呼び、条件が整えば、認めることにはなっています。本人が「終末期医療における事前指示書」(リビング・ウイル)を用意しておき、医師の責任は問わないための証拠にするのです。

指示書には「不治の病で、死が迫っていると診断された場合、延命措置は断ります」「麻薬などで苦痛を和らげる緩和医療は十分、行ってください」「植物状態に陥った場合、延命措置を止めてください」などと書かれています。その場合、延命措置を中止しても法的責任は問われないとの解釈です。

それにしても「尊厳死」は、意味が分かったようで分からない。個人の意思を尊重することが、人間としての尊厳を守ることになるというのでしょうか。しかも日本では、尊厳死法案が用意はされたのに、国会に上程されず、法律になっていません。死の選択に対する法的な決まりが曖昧なのです。

私の知人が最近、末期がんで亡くなりました。肺がんの手術を受けたものの、発見の遅れもあって術後、1,2年で転移が進み、抗がん剤の投与も受けていました。最後は、病院での治療をあきらめ、自宅療養に切り替え、半年ほどで人生の終末を迎えました。

医師が時々、訪問診療にこられ、痛み止めの麻薬を処方していました。食欲も衰え、麻薬が増えるにつれ、体力も低下し、そう苦しまずに永遠の眠りにつけたようです。積極的な治療を断念し、時間をかけて、死に向かう。緩やかな安楽死といえば、安楽死といえます。そういう死に方ができなかったの今回の事件でしょうか。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2020年7月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。