件の医師の行為を正当化してしまうと安楽死請負サービスを合法化しかねないので、私は件の両医師については法の適正な手続きに従って然るべく処罰されるべきだと思っている。
しかし、だからと言って、この事件を契機に尊厳死の議論を進めるのが間違いだとか不道徳だとは思っていない。
死ぬ権利を認めるべきではないか、などという問題の立て方には反対だが、苦痛に悶え苦しんでいる死期が迫っている患者を目の前にすると、医療従事者として患者の苦痛を軽減するために何らかの薬剤を投与することまでも一概に否定することは出来ない。
死ぬ権利ではなく、生きる権利をこそ徹底的に追及して欲しい、と当事者の方々が仰っておられることはそのとおりだと思うが、万策尽きて最後の手段として苦痛を軽減するための薬剤の投与を懇願する患者がおり、複数の専門医がそれ以外に苦痛を軽減する方策がないと認めている時に当該患者の懇請を受けて薬剤投与等の行為に及んだ場合に当該医師を処罰の対象にすべきか、ということに対しては、私は基本的に消極である。
一旦尊厳死を認めてしまったら、当該患者にとっては、死ぬ権利がいつしか事実上死ぬ義務のようになってしまうのじゃないか、などという懸念が表明されており、軽々には結論が出せない難しい問題であることは十分承知しているが、だからと言って、尊厳死の問題は今、取り上げるべき問題ではない、などと一蹴してしまうのは如何だろうか。
今の国会議員の皆さんがどの程度この問題について関心を持っておられるかどうか分からないが、私は、こういう問題こそ国会で十分議論してなにがしかの結論を出されるべきだろうと思っている。
編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2020年7月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。