「上流」の時代(上)

コロナの猛威が止まらない。

写真AC:編集部

もちろん、激増しつつある世界・国内の感染者の動向も心配ではあるが(東京はついに7/31、感染者数が463人に)、感染者数は検査数を増やせば増加するのはある意味当然でもあり、個人的には、とりわけ経済の先行きを心配している。

アメリカ商務省の発表では、4~6月のGDPは何と前期比で32.9%も減少したとのことだ。内閣府によれば、日本の2020年度のGDP成長率の見通しは、マイナス4.5%とはじいているが、直観的には甘い気もする。

ワクチン開発のニュースも色々と飛び込んでは来るが、このままコロナの猛威がしばらくは止らないとなると、本格的な経済活動の再開は望めない。一方で、1人10万円の特別定額給付金や、中小事業者等向けの持続化給付金など、既に大盤振る舞いをしている国家財政、各地の財政はひっ迫してきており、カンフル剤もいつまでも打ち続けられない。

先日、災害復興活動等の専門家である知人の藤沢烈氏(RCF代表)に興味深い話を聞いたが、震災や豪雨などの復旧・復興に際しては、初期段階で援助をドバーッと出しすぎて、後で息切れしてしまい、肝心な復興が進まなくなるパターンがあるとのことだ。持続性を意識して、「上流」の段階で工夫・コントロールすることが死活的に重要だとのことだが、今回のコロナ騒動を災害ととらえると、同じ轍を踏みかねないという懸念をしている。

昨日、内閣府が、2012年12月から続いた景気の拡大局面は2018年10月まで続き、戦後2番目の長さの71か月間であったと発表した。最長は、2002年から08年までの「いざなみ景気」(73か月間)だそうだが、戦後1番目と2番目の長さの景気拡大局面が21世紀に入ってからと言われても、正直ピンとこない。実際、岩戸景気(1958年~)やいざなぎ景気(1965年~)は、それぞれ、成長率が11%台だったのに対し、いざなみ景気や今回の景気拡大は、長さだけが取り柄で、共に成長率は1%台だ。

振り返ってみれば、私が大学に入り、経済産業省に入省した1990年代から、本質的な意味で、経済が上向きだった時期というのは無かったような気がする。90年代は、バブル崩壊後の後遺症で「失われた10年」と呼ばれ、当時としてはかなりの財政出動(需要創出)を行ったが、効果は小さかった。その後、2000年代に入るとサプライサイド改革(供給側の改革)が行われ、過剰雇用・過剰債務・過剰設備のリストラが図られたが、これまた、効果はあまり大きくなかったのが実感だ。リーマンショックなどを経て、アベノミクスで金融緩和をかなり本格的にやり、経済を「ふかした」が、コロナ危機を迎えて感じるのは、日本の経済の基礎体力が強くなっていたわけではなく、限界が露呈してきたという感じだ。

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気がついて見れば、コロナ危機を迎えて、唯一という感じで伸びている「非接触型ビジネス」(IT系のビジネスを展開する企業など)を見ても、世界を席巻している日本企業というのはほぼ見当たらない。平成元年に、時価総額ランキングで世界のトップ50社のうち35社を占めていた日本企業勢の往時の面影はなく、現在は、46位にかろうじてトヨタ一社が顔を出しているだけだ。

その日本が得意としていた「ものづくり」、特にその最後の砦ともいえる自動車に関しても、コロナ危機下の需要消滅による製造業一般の苦境とは別に、構造的に苦しいことになってきている。つまり、日本が得意だと言われてきた「ゲーム」の形が変わってきてしまっているのだ。

例えば日本には様々な種類の中小企業の集積があり、優れた職人が多いため、アイディアを容易に具体化する(試作品を作る)ことが得手とされていたが、いわゆるバーチャル・エンジニアリングの時代になると、データさえあれば、練達の職人や企業間協力を得なくても3Dプリンタその他ですぐに試作品が出来てしまう。極端な場合、試作せずとも、データ上でその当為が判断されることになる。現に、欧州などでは自動車の走行テストをインターネット上のテストコース(石畳の道、砂の道などがウェブ上で選べる)でやり、認証を受けるケースが出て来ているそうだ。(内田孝尚『バーチャル・エンジニアリング1・2』、経済産業省『2020年版ものづくり白書』など)

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もちろん、まだ、素材産業や工作機械など、日本が世界的に見て優位に立っている分野もないわけではないが、大きなトレンドとしては、製造業全体が、減退傾向にあると認めざるを得ないと思う。情報化・データ社会の到来により、ものづくり・製造業の勝負ですら、実際に製造する段階から、どんどん上流の方、即ち企画・設計の方に加速度的にシフトしてきている。クリエイティブで、かつ、ある程度現実的な発想・構想が重要な「上流の時代」が到来してしまったと言える。