お別れの会なのに葬儀じゃない?村山家を愚弄する朝日新聞さんへ --- 村山 恭平

アゴラ

朝日新聞東京本社(Lazaro Lazo/flickr)

以前の記事で、「朝日脳」という造語をしました。なかば冗談で、

「自分達のやることはどんなに非常識でも、正義であり公共性があり万人が支持し絶対にうまくいくと、根拠も無くいつも思っている思考状態。朝日新聞社の幹部に発病しやすい」

ぐらいの感じで、適当に定義してみました。けれども、今回、これを冗談と言い切れないのではない出来事が起こり、自分でも驚いています。

この3月、私の伯母である村山美知子朝日新聞社社主が死去いたしました。朝日新聞社はそれを待っていたように、この6月の定期株主総会で、もうひとつの社主家であります上野家の嘆願を無視する形で社主家制度を廃止いたしました。

参照拙稿:朝日新聞株主総会の内幕リポート 〜 “脱法理事長”大暴れ!

こうした状況の中で、関係者の間から「新聞社が「おわかれの会」を開こうとしており、場所、日時なども決まっている」との情報が伝わってきました。普通、開催の是非にはじまり、日程などは遺族と相談するのが常識でしょう。とりあえず、社長あてに以下のような手紙を出しました。

株式会社朝日新聞社社長 2020.7.22
渡辺 雅隆 様

前略

伝え聞くところによりますと、貴社は本年9月に、前社主故村山美知子の実質的な社葬と思われます「おわかれの会」の開催を、計画をしておられるようであります。

しかしながら、無宗教での葬儀は故人の生前の希望とはほど遠いものであり、また、6月24日の株主総会をもって、貴社と上野村山両家との友好関係は終了していると思われます。

従って村山家といたしましては、貴社による「おわかれの会」の開催は、当家の祭祀権の重大な侵害であり、とうてい容認出来るものではありません。速やかに中止していただくことを、強く要求いたします。

万一、開催が強行されるようでしたら、村山家のものが参列することはありません。また、「この会は、村山家とも村山美知子とも何の関係もないものである」との旨を、事前に関係各方面に周知してもらうつもりです。

このような、不毛にして滑稽な事態を招来させることのないよう、「おわかれの会」の中止を重ねて強く要求いたします。

草々
村山恭平

8月の初頭、以下のような返信が有りました。

村山  恭平  様

拝復 ようやく梅雨明けのニュースが届き始めました。村山様には、ますますご清祥のことと存じます。このたびはお手紙をいただき、故村山美知子社主の「お別れの会」についてご意見を賜りましたので、弊社としての考えをあらためてお伝えいたします。

お別れの会は、9月11日(火)に大阪市北区中之島のリーガロイヤルホテルで開きたいと考えております。美知子社主が朝日新聞社の創業者である村山龍平翁の孫として生まれ、日本の音楽界を牽引したその生涯や功績を、ゆかりのあったみなさまとともに振り返り、感謝の気持ちをお示ししたいという思いから企画しました。

旧知の音楽家のみなさまから思い出やエピソードをお話しいただくことで、美知子社主の人柄や、その存在のかけがえのなさを、みなさまに思い起こしていただけるものと思っております。式典会場である「ロイヤルホール」に続く「光琳の間」では、美知子社主に関する展示コーナーを設け、大阪国際フェスティバルを通じたクラシック音楽界への多大なる貢献などについて、皆様により深く知っていただけるようにしたいと考えています。

この会が「祭祀権」の侵害にあたるとのご指摘をいただきましたが、公的な立場にあった方について、ゆかりのある個人や組織が、その生前の功績を讃え、遺徳を偲び、哀悼の意や感謝の念を示す行事を催すことは、社会通念に沿った態様で行われるかぎり、祭杷権を侵害するものではないと考えます。

弊社と公益財団法人香雪美術館が計画している「お別れの会」は「葬儀」ではありません。長年朝日新聞社社主や香雪美術館の名誉理事長を務められた美知子社主に対し、ゆかりのあった方々がそれぞれの立場から追悼の辞、弔辞、献奏、謝辞及び献花などを行い、お別れと感謝の言葉を申し上げる場です。2016年に逝去された上野尚一社主のお別れの会に準じた形になりますが、関係される皆様のご協力により、「音楽」を中心に据えた式典にできればと思っています。

以上のように村山家の祭祀権に配慮した形での開催となりますので、ぜひともご理解を賜り、村山家の方々にもご出席いただきたいと願っています。

本来であれば3月3日のご逝去後、できるだけ早くこうした場を設けたいと時期を探っておりましたが、新型コロナウイルスの感染拡大により、見合わせざるを得ませんでした。まだ予断を許さない状況ですが、弊社としましては、時機を逸することなく、美知子社主を偲び、思いを馳せていただく機会を持つことが大事だと考え、十分な感染対策を施した上で、9月1日に開催日を定めた次第です。

村山恭平様にはご理解とご協力のほど、心よりお願い申し上げます。
酷暑の季節です。くれぐれもご自愛のほどお祈りいたします。
敬具

2020年7月31日

なんだか、コメントをするのも(それを読むのもですね)バカらしいシロモノですが、まあ、以下は余興としてお読み下さい。

まず、「『お別れの会』は『葬儀』ではありません。」などと、とんでもないことが書かれています。「お別れの会」は「社会通念に沿った態様で行われるかぎり」自動的に葬儀になると思われます。「追悼の辞、弔辞、献奏、謝辞及び献花などを行い」というなら、どう考えても葬儀ではありませんか。

なんだかM1チャンピオンのミルクボーイのネタを見ているみたいです。葬儀なのか葬儀でないのか、社長がボケて混乱して判らなくなっているわけでもありますまい。

だいたい「祭祀権に配慮した形」って何なんでしょう。祭祀というものは宗教なのですから、尊重するか無視するかのどちらかです。無宗教で開催する時点で無視だと思います。

さらに、一方では「葬儀ではない」と強弁しているのですから、祭祀権への配慮に言及した段階で矛盾が発生します。

また、こちらの手紙で主張した社主家廃止問題には一切触れないにもかかわらず、「ロイヤルホール」やら「光琳の間」などと、無意味に細かい説明があります。爆弾でも仕掛けるときの参考にしろとでも、おっしゃるおつもりなのでしょうか。

コロナ関係の記述も意味不明です。「十分な感染対策」が必要な状況なら、約半年前に亡くなった人間の、遺族すら希望しない不要不急の「行事」は、「時期を逸することなく」中止するというのが常識というものです。

村山家をバカにしていて適当に手紙をでっちあげたのならまだ救いがありそうですが、どうやら社長は本気で、私たちが納得すると思っているフシがあり、久しぶりに、間近で「朝日脳」を見たときの、えも言われぬ恐怖と不快感を再体験いたしました。

編集部撮影

さて最後に、会に対する村山家の立場を示しておきましょう。私たちは、自分たちのと同様に、新聞社のひとたちを含む万人の信教の自由を尊重します。

国や文化によっては、葬儀の場で御遺体を鳥に食べさせたり、ミイラにしたりする場合もあるそうですが、こうしたことを野蛮だとか残酷だとか評価するのは控えたいと思います。同様の理由で、新聞社が「社葬」であろうが「お別れの会」であろうが、私たちと無関係なところで行うことは尊重したいと思います。

但し、伯母の遺体が燻製にされたり、内臓をコンドルにつつかれたりする光景を見たくないのと同様の理由で、村山家の親族は9月1日のお別れの会のには出席いたしません。

当日、それぞれのお考えで御出席ないし御欠席を御判断下さい。村山美知子の冥福のために祈って下さる方には、影ながら感謝いたします。しかしながら、上記の理由により、私たちは、朝日新聞社の主催する「お別れの会」には出席いたしませんので、その点、ご了承いただきたいと思います。

村山 恭平