コロナが背中を押すデジタルの汎用化

現金VSカード決済ではこのブログでもかつて盛り上がりましたが、コロナがカードやデジタル決済をより浸透させた点は間違いないかもしれません。最近、現金お断り、というところを散見します。なぜ、と聞けば他人の触った紙幣は触りたくないというものです。現金もずいぶん嫌われたものでスーパーでもレジで現金決済の人がいると後ろに並ぶ人が「まじか!」とふっとため息がでるような光景も見受けられます。勿論、誰も文句は言いませんが、キャッシュがこんなに嫌われるとは誰が思ったでしょうか?

(写真AC:編集部)

(写真AC:編集部)

レストランに行けばテーブルにQRコードが張り付けてあり、自分のスマホでそのコードを読み取り、メニューをダウンロードして自分のスマホを通じてメニューを見るところが急速に増えています。理由はいろいろな人が触ったメニューを触りたくない、というものです。食べ終わった後は非接触型のクレジットカードでチップの%を選んで決済して終わり。その間、触ったものといえばフォークとナイフとカードの決済マシンだけ。通常の買い物なら決済マシーンすら触らずで、家に帰るまで自分の買ったもの以外何も触らなくて済むケースもあります。

コロナ禍におけるデジタル化の強力な推進とは人と人の触れ合いを否定し、より接触を避ける社会を築いています。そういえば私も最後に誰かと握手をしたのはいつだったか、という感じです。コロナの流行の兆しの頃、欧米は握手、ハグにキスもある、だから感染者が大流行したと指摘されましたが今は身内での行為はともかく、全く見かけなくなったといってよいでしょう。人はここまで変われるのか、ある意味、驚きであります。

デジタルを突き詰めていくと人との接触を極限に減らすことを意味しますのでキャッシャー(レジの人)もなくなればいいだろうし、銀行のテラーさん(窓口の人)も不人気な業務になるかもしれません。北米は人々の行動心理をベースに社会の仕組みがどんどん変化していくところにあります。常に最新の手法を探していかないとあっという間に後れを取ります。

ではいくら仕事人間でもフルマラソンやウルトラマラソンをずっと走り続けられるか、といえば正直限界はあります。同様に社会の圧倒的変化に対してどんな人もついていけるのか、という疑問があります。私のようにある程度の年齢になるとこの壁にぶち当たるという厄介な問題も今後生じるのでしょう。これは仕事のやり方の変化にもつながります。

10数年前から言われたマーケティングの手法の一つ、DtoC(D2Cとも表記)はBtoB、BtoC、SPAとも違います。Direct to Consumer と称されるもので製造者が消費者に直接オンラインで物販したりサービスを提供したりする仕組みであります。ここにきてDtoCは一気に普及する気配を見せています。理由は製造元が商品に十分な自信とオリジナリティがあればSNSを通じて拡散し販売力をつけることができるからです。いわゆるデジタル「口コミ」マーケティングというものでしょう。これは今までのデジタルを更に進化させているともいえるのです。

例えばアマゾンや楽天はプラットフォームと称し、小売り業者や製造元が販売するためのデジタル上の店舗であります。しかし、それらプラットフォームには長所も多い半面、短所もあります。その一つに消費者が並列で表示される商品に対して価格で選ぶ傾向があり、消費者に商品の特性を十分に理解してもらいにくいのです。

ところが自社のオンラインストアなら顧客をそこに誘導さえできれば高い費用を払ってアマゾンや楽天にお願いする必要はなくなります。カナダのショピファイはこの分野のサービス業務では世界有数の会社になりつつあります。つまり10年後にプラットフォーム型のアマゾンビジネスモデルが衰退する可能性はないとは言えないのです。デジタル革命はそこまで進んできているといえるのです。

個人的にはデジタルが最も変える世界は教育分野ではないかという気がします。10年後に子供たちは学校に行くのだろうか、という疑問が私にはあるのです。好む好まざるにかかわらず、多くがオンライン化となり、クラスメートとの接点も画面を通じて行い、リアルに会うことが少なくなる社会です。塾や習い事もそうです。もしかすると非常に仲の良い親友ぐらいがハンギングするぐらいであとは画面越しのクラスメートとなるかもしれません。

教育については急速にデジタル化が進んでいます。大学は9月以降もオンライン化となりそうですが、それが社会の当たり前となれば高等学校、中学、小学校とオンライン化は低年齢化することはあり得ます。挙句の果てに不登校の子供たちが減らせる可能性すら指摘されるかもしれません。私はあるオンライン教育の会社に投資をしていますが、高騰しています。アメリカの同様の業界は株価がこの半年で数倍になっています。それぐらい社会は変質化しているともいえます。

こんなデジタル社会を想像していくと想像力たくましくいくらでも考えることができますが、アナログで置き去りにされる人たちはどうするか、であります。かつてウィンドウズ95が出たとき、会社のおじさんたちも人差し指一本でキーボートとにらめっこしていましたが、今は高齢者のグループがZoomでにぎわうことすら当たり前になりつつあります。デジタル革命とはその垣根が非常に下がってきていることもポイントでこれが社会の当たり前になるには想像以上に早いのかもしれません。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年8月19日の記事より転載させていただきました。