ドイツの変化がもたらす中国の苦悩

ドイツのメルケル首相は中国と仲が良く、頻繁に中国を訪れていました。首相として訪問した回数は12回に上ります。なぜそこまでしたのか、その理由の一つにメルケル首相が2007年にダライ ラマ 14世と会合したことが中国の逆鱗に触れ、独中貿易が激減したことに端を発した点があります。関係改善のため、メルケル首相は人権より経済というスタンスに方向転換し、頻繁に訪れ、ひたすら商人に徹していたとも言えます。

(昨年9月、中国武漢市を視察中のメルケル独首相(独連邦首相府公式サイトから):編集部)

(昨年9月、中国武漢市を視察中のメルケル独首相(独連邦首相府公式サイトから):編集部)

メルケル首相はそもそも人権派であり、ソフト外交を望んでいます。が、香港の人権問題が今年、世界で話題になった際にもメルケル首相はあえて封印をしたように思えます。それは2007年のあの悪夢を今更繰り返したくなかったからでしょう。そしてメルケル首相は2021年秋に首相を降りるだけではなく、議員も辞め、完全引退をする予定です。そのため、すでにメルケル体制は政権末期でドイツ国内では次の首相を含めた国のあるべき方向の議論が進んでいます。

現在副首相で財務大臣のショルツ氏は立候補を表明していますが、今後、様々な候補者の「改革案」と新しいドイツの立ち位置の案が示されていくことになります。その中で中国との関係がどうなるのか、これは一つの試金石となりそうです。

先日、欧州5か国訪問をした中国の王毅外相は訪問先のドイツでマース外相との共同記者会見が凍り付いたようなものだったと報じられています。王毅外相は中国への支持を訴え、「アメと鞭」作戦で臨んだはずですが、結果としては撃沈しています。それは欧州各国が中国の人権問題について思った以上に懸念をしており、中国の「国内問題に口を出すな」というやり方は国際社会で孤立化が進んでいることを裏付けるものでした。

今年2月に「安全保障版ダボス会議」の異名もあるミュンヘン会議がありましたがその際のテーマは「消える西側」でありました。欧州という立場を世界の中でどう位置付けていくのか、埋没しつつある欧州に再び光を、というものでありました。その背景にはアメリカが自国中心で様々な案件はアジアに多く、「大西洋の時代」から「太平洋を挟んだ関係」がその主題となっていることに懸念を示したものです。

経済的に躍進し、一帯一路政策により欧州は中国と強力な関係を結ばざるを得なくなりました。特に鉄道路線は中国沿岸部から欧州までノンストップの貨車が数多く運行されています。これならば船の輸送が1カ月に対して2週間で運べるメリットもあり、まさにシルクロード化しているとも言えます。しかし、欧州は今になってようやく何か違うと思い始めたのでしょう。

その中でドイツはメルケル首相が対中国との関係で踏み込めない中、ドイツ国内で湧き上がる「ドイツの示すべき態度」の議論は中国をしばし、苦しめることになりそうです。つまり、政治家を引退する首相の存在意義は今後日増しに鮮度を落とすことになり、政権末期にはお飾りでしかない状態になります。

ドイツの出方、ひいては欧州の出方はアメリカの大統領選挙の結果にも大きな影響が出てくると思います。仮にバイデン氏になれば大西洋をまたいだ関係はよくなる公算があります。一方、トランプ氏が再選すれば欧州が生き残りをかけた独自プランを生み出さざるを得なくなりますが、それはいずれも中国に頼らない関係が前提にあるように見えます。ドイツは9月2日にインド太平洋外交方針を発表し、これを受けてマース外相が「民主主義と自由主義の価値観を分け合う国々とより深く協力していく」(日経)とあります。これは日本などとの関係改善が前提にあると思えます。

そういえば安倍首相とメルケル首相は多分、ウマが合わなかったのか、メルケル首相が中国に遠慮をして安倍首相に近づかなかったかのどちらかだったと思います。(私はウマが合わなかったとみています。)その安倍首相も退陣となり、メルケル首相も最長でもあと1年となった今、日本とドイツの新しい関係構築という切り口は今だからこそ可能な外交戦略であるとみています。日本の新首相と外相が対ドイツ外交政策に力点を置けば欧州全部がついて来る可能性すら出てきているとみています。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年9月9日の記事より転載させていただきました。