アラブ世界の変動とその「点と線」

湾岸諸国のアラブ首長国連邦(UAE)が8月13日、そしてバーレーンが今月11日、これまで敵対関係だったイスラエルと国交正常化で合意した。そして15日、米ホワイトハウスで仲介役を演じたトランプ米大統領の立ち合いのもと、イスラエル(ネタニヤフ首相)、UAE(アブドラ外相)、バーレーン(ザイヤー二外相)の3国代表が合意文書の署名式に臨んだ。トランプ大統領は「新しい中東の夜明けだ」と合意を高く評価した。

(ホワイトハウス公式ツイッターから:編集部)

湾岸諸国とイスラエルの国交正常化への合意時期が11月3日に迫った米大統領選の終盤に重なったことから、「再選で苦戦しているトランプ大統領が湾岸諸国を強く説得し、イスラエルとの正常化への合意をプッシュした結果ではないか」といった穿った見方が聞かれるが、湾岸諸国とイスラエルの接近はトランプ大統領への選挙支援(外交得点)といった次元のニュースではないだろう。

湾岸諸国を含むアラブ諸国はこれまで、イスラエルとの外交関係樹立はパレスチナ問題の解決後という立場を取ってきたが、UAEとバーレーン両国は今回、イスラエルとの国交正常化を優先し、その後にパレスチナの平和的解決を進める道を選んだことになる。180度、政策を変更したわけだ。それでは、2国がイスラエルとの国交正常化を優先し、パレスチナ問題を後に回した理由は何だったのか。アラブの大義を捨てて実利(イスラエルのIT先端科学技術など)を取ったのだろうか。

▲新著「抑圧と反乱」(仮訳)を出したオーストリア放送のカイロ特派員、カリム・エル・ゴハリ氏(ウィキぺディアから)

そのように考えていた時、オーストリア放送で14日午後1時のラジオ番組の中で、同放送カイロ特派員のカリム・エル・ゴハリ氏が現在のアラブ諸国の動向について興味深い話をしていたのを聴いた。同特派員は先日、新著「Repression und Rebellion」(仮題「抑圧と反乱」)を出版し、本の宣伝のためにオーストリアに戻ってきたところだった。

2004年以来、カイロ特派員の同記者は「メディアでは“アラブの春”と呼び、アラブ諸国の民主化の動きを表現するが、アラブの動向は単に一つの季節の変化という観点では理解できない。4シーズン、アラブは動いている」と指摘し、欧米メディアのイベント集中取材を批判し、「政治的変化が表面化するまでのプロセスを理解する必要がある」と強調した。

同特派員の指摘は正論だ。ジャーナリストは事件、出来事が生じた時、その出来事(イベント)の取材に追われ、そのイベントが生じた歴史的、社会的プロセスをじっくりと分析することを忘れて、次のイベント取材に走ることが多い。

同特派員がいう「イベント」と「プロセス」は、換言すれば、「点と線」だ。松本清張に同名の推理小説があるが、「点」と「点」を繋いでいくとそこに「線」が浮かび上がってくる。そして「事件の核心」にたどり着くというわけだ。

エル・ゴハリ氏の話を聞いて、オーストリアのワルトハイム大統領(当時)のナチ戦争犯罪容疑問題が生じた時のことを思い出した。世界から多数のジャーナリストがウィーンに取材にきた。CNNもそのうちの一つだった。CNNはワルトハイム氏がナチ戦争犯罪に関与していたという立場から報じていた。それに対し、オーストリア政府関係者は「CNNは米国からウィーンに飛んできて、即製の取材を終えると直ぐに帰っていった。彼らはオーストリアの歴史や伝統には関心がないのだ」と少々皮肉を込めて語っていたことを思い出す。

メディアはどうしても速報性を優先し、テロやデモといった出来事(点)が生じると、集中的にそれを追うが、点と点を繋ぐ複数の線への解明が欠ける場合が多い。もちろん、欧米メディア関係者はイベントのエキスパートをスタジオに招いたり、インタビューして、線への取材を試みるが、「点に追われ、線が見えない」ケースが多いことは間違いないだろう。少なくとも、カイロで取材するエル・ゴハリ氏の目には、欧米メディアのアラブ取材がそのように見えるのだろう。

同特派員によれば、アラブ諸国の問題点は3点、「貧困」と「不平等」、そして「無気力感」という。アラブ諸国では国家の富は10%の指導層が握り、国民の60%は貧困下で生きている。豊かな湾岸諸国では国家は国民の生活を保証するが、一般の国民には意思決定権がないから、国の在り方や政策について意見を述べることができない。しかし、新型コロナ感染が世界的に拡大し、原油価格が下落してきた現在、国はこれまでのように国民を養うことができなくなってきている。そのため国民の間で指導層への不満、批判の声が出てきているという。

エル・ゴハリ特派員は、「アラブ諸国の国民の平均年齢は30歳以下だ。彼らの多くは失業している。若い世代の閉塞感がアラブの政情を不安定にする大きな要因だ」という。そして、「アラブ情勢といえば、シーア派、スンニ派の宗派間の抗争が指摘されるが、アラブの若い世代は『宗教が社会で不必要に重視されている』という考え方が見られ、若い世代の中で宗教離れが進んできている」と説明していた。

中東情勢が動き出した。米国がイラク駐留米軍の撤退を進めるなど、中東離れが顕著になってきた一方、米軍のプレゼンスの空白をトルコとサウジアラビア両国が埋めようと腐心してきている。地域大国を模索するイランの動きも無視できない。UAEとバーレーン両国がイスラエルとの正常化に乗り出したことから、オマーン、スーダン、モロッコがそれに続く気配を見せている。パレスチナ問題はどうなるか、等々、アラブ中東では多くの問題が山積している。

アラブ情勢が織りなす「点と線」をフォローしながら、そこから浮かび上がってくる「事件の核心」を見逃さないようにしたいものだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年9月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。