欧州で再び、難民問題が浮かび上がってきた。今年に入って欧州連合(EU)は中国武漢発の新型コロナウイルスの感染対策に邁進してきたが、ギリシャのレスボス島(Lesbos)にある欧州最大の難民収容所、モリア(Moria)の難民キャンプで9日未明、火災が生じ、収容されていた難民1万3000人余りが路上に放り出されるといった事態に直面、その対策に乗り出さざるを得なくなったことが直接の理由だ。ただし、厳密にいえば、2016年のEUとトルコ間で締結された難民対策に関する合意内容が反故にされてきた結果だ。
独週刊誌シュピーゲルは9月12日号でモリアの難民キャンプのルポ記事を掲載した。水道も電気も十分にない状況下で多くの難民が人間以下の生活を余儀なくされている状況を伝えていた。シュピーゲル誌は社説で「モリア難民キャンプの実態は中国やロシア、イランに対して日頃から主張してきたEUのモラル外交の破産宣言だ」と最大級の皮肉を込めて批判している。
思い出してほしい。EUと中国のオンライン首脳会談が14日、開催され、そこでは投資協定の年内締結を目指すことで一致した。EU側からミシェル大統領、フォンデアライエン委員長、そしてEUの下半期議長国ドイツのメルケル首相が参加。中国からは習近平国家主席が出席した。会談の詳細な内容は公表されていないが、EU側は香港の国家安全維持法問題や南シナ海情勢、少数民族ウイグル人への人権蹂躙などを挙げ、中国の人権問題の改善を要求したという。ミシェル大統領は会談後、「人権問題の懸念を伝えた」と誇らしげに報告していた。
習近平主席がEU側の人権問題への批判に対しどのように応戦したかは知らないが、同主席がEUの内情に通じていたならば、「あなた方が主張するEUの人権の価値はどうか」と反論し、モリア難民キャンプの実態を指摘して、「1万人以上の難民が火災で全てを失い、路頭に迷っていると聞く。収容所では清潔な水も十分ではななく、電気もないような状況下で生活していたというではないか。これが日頃から我々に向かって説教してきたEUの人権の価値というのか」と辛らつに反論していただろう。習近平氏は自国への批判に答えることで忙しく、EU側の内部事情まで追求する余裕がなかったのだろう。
欧州のメディアはモリア難民キャンプの火災後、路上で眠る難民の姿や小さな子供の世話で苦労する難民女性たちの姿を連日、報道してきた。普通の国民ならば「何とか支援できないのか」とブリュッセル側に向かって呟かざるを得なくなる。フォンデアライエン委員長は、「モリアのキャンプの映像は欧州の団結を求めている」と述べている。
シュピーゲルのルポ記事によると、モリアのキャンプの収容能力は3000人だが、2020年9月7日現在、1万2589人。160人の難民に1カ所のトイレ、200人の難民に1カ所の水道蛇口といった具合だ。フランス通信(AFP)は「難民キャンプはスラム街と化している」と報じていた。
やはり予想通りだが、モリア難民キャンプの実態にいち早く反応したのはドイツのメルケル首相だった。2015年にシリアや北アフリカから100万人余りの難民が欧州に殺到した時、難民歓迎政策を実施。その結果、欧州全土に難民排斥運動を引き起こした張本人だ。
メルケル政府は15日、ギリシャのレスボス島のキャンプで火災に見舞われた難民1553人を受け入れると発表した。また、メルケル首相の愛弟子であるフォンデアライエン委員長は16日、難民が最初に到着した国での保護申請を義務付けたEUの「ダブリン規則」を廃止し、難民・移民対策の新たな協定案を23日に発表すると述べた。
2015年の時、ブリュッセルがまとめた難民受け入れ分担案に対し、ハンガリーやチェコ、ポーランドなど東欧加盟国が拒否し、EUの統一した難民政策は確立できなかった経緯があるだけに、メルケル首相が今回、モリア難民(保護者のいない未成年者)の分担を決めたとしても、受け入れる加盟国は限定されるだろう。
実際、オーストリアのクルツ首相は、「わが国はモリアの難民を受け入れる考えはない。それより難民引き受け国への支援が重要だ。わが国は今回もトルコから多数の難民を受け入れてきたギリシャへの支援を実施する」といった具合だ。ちなみに、EUは2014年からギリシャ政府に対し、難民支援対策費としてこれまで29億ユーロを救出してきた。欧州は過去、難民対策として難民が最初に殺到するギリシャとイタリアへの支援を強化してきた。
欧州では9月に入り、新型コロナの感染が再び拡大してきた。モリア難民キャンプでも今月に入り、新型コロナに感染した収容者が出ている。難民キャンプの衛生状況は最悪だけに、新型コロナの感染問題は非常に深刻だ。
冬が来る前に、難民キャンプの再建を始めなければならない。ブリュッセルが取り組まなければならない課題は山積しているが、EUのソフトパワーを今こそ見せてほしい。フォンデアライエン委員長は16日の演説で「危機はチャンスの時」と述べていた。その言葉を忘れないでほしい。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年9月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。